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2007年8月

2007年8月25日 (土)

コンサート

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コンサート・・・僕は、同じテーマを3回以上続けたくないので、

このブログ(日記)の始めの「僕の夢」と同じく、今回で、完結する。

近過去から近未来まで、イッキに(奔馬の如く)駆け抜けるので、

チョット長くなるが、ご容赦を!

まずは、(その2)の続きから・・・

僕は、フォーク(ニューミュジック)系の山崎ハコ、中島みゆきの他、

ロック(リズム&ブルース)系ザ・ビートルズ(ローリング・ストーンズは

余り好きではなかったが)、特にジョージ・ハリスンとその友人で

もあるエッリク・クラプトンが好きだった。

僕の大学時代にビートルズが解散し、再結成が叫ばれている

1970年頃(正確には、1974年、今の会社に入社後)、

初めてのボーナスで、オーディオ・セットと1組のレーコドを購入した。

ザ・ビートルズ/  1962-1966&1967-1970であった。

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ビートルズ解散直後に、ジョージ・ハリスンのシタールの師であるラヴィ・シャンカール

(ガイヤ・シンホニィー第6番出演者で、かつ2003年グラミー賞受賞

のノラ・ジョーンズの実父)の要請でロック界初の

大規模なチャリティー・コンサート(バングラデシュ・コンサート)を開催。

ジョージ・ハリスンの他、エリック・クラプトンボブ・ディランレオン・ラッセル

が参加したイベントは大成功を収め20世紀最大のロック・イベントとも称された。

僕はこのライヴ盤レコードも直ぐ購入し、何度も聴いた。

今、僕の携帯の着メロ(Tears in Heaven)になっている

エッリク・クラプトンに本格的に出遭ったのもこの頃である。

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僕自身の初コンサートやアコースティク・ギターを始めたのも、

1998年頃からである。僕の自宅の真ん前に、ギター教室が

出来た僕は、直ぐに教室に突然訪問し、フォーク・ギターが

弾きたいと言った。

冒頭のクラシック・ギターを10万円余りで購入し直ぐに練習を

始めた。最初に習ったのがイルカの「なごり雪」、続いて

河島英五の「酒と泪と男と女」の曲を習った。

始めて、ミニ・コンサートで仲間内の曲はビートルズの

「イエスタディ」を選んだ。何回も練習したのに、メロメロ

だった。始めて人前で弾く難しさを知った。

初めてのお披露目コンサートはモット酷かった。

曲は、「グリンス・リーブス」チョットした小曲だった。

30~40回練習し、暗譜できるようになった。

リハーサルでも硬いが弾けていた。

しかし極度の緊張から、本番で名前と曲名の紹介の

後の観衆の拍手でスッカり上がり、頭の中は真っ白け、

すっかり曲を忘れてしまった。手は震え出し、30秒の

沈黙の内に、弾かずに退席した。

後で聞いた話しによると皆、人前で演奏するには、

数十回どころか数百回、プロは同じ曲を千回以上も

上手く演奏するには練習するそうだ。

半年後の2回目のお披露目コンサートは、色々と工夫した。

まず、暗譜せず楽譜を見て、かつ百回以上練習し、

尊敬するエリック・クラプトンがアンプラグダで演奏した

衣装を真似た。曲はジョン・レノンの「イマジン」で、

そして曲紹介の後、拍手の前に演奏を開始した。

何とか最後まで弾けたが、イメージとおりではなかった。

録音された本番のテープを聴いて愕然ともした。

その頃に同じく入っていたギター・アンサンブルのサークル

一本に絞り、個人レッスンは終了した。

ちょうどミレミアム2000年頃である。

その数年後、2,3回のボランティアのコンサートを楽しんだ。

その後、新宿厚生年金会館で女房と二人で「綾戸智絵」の

ライブ・コンサートへ行き2003年~2005年にかけ、2回ほど

「綾戸智絵」のコンサートだけは女房は付合ってくれた。

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その翌年2006年に六本木のジャズ・レストランの

STB139スィートベージルで、

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クラプトンのTears in Heavenをカバーした縁で

好きになった「鈴木重子」のコンサートで、

何年か振りに夕食を二人でしながら聴いた。

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しかし、クリスマスの「鈴木重子」のコンサートは、

行かないと女房は言いだし、結局、高校時代の

男の親友と行った。

そして、来週の日曜日9月2日(日)に、六本木のジャズ・レストランの

STB139スィートベージルで、「綾戸智絵」のコンサーとを仮予約し

女房を誘っているが、また行かないと言い出していて、3日前までに、

キャンセルするかどうか思案している。目下の最大の悩みである。(完)

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2007年8月19日 (日)

コンサート(その2)

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僕のライブ・コンサートに観に行った最初は、今から30年前に、

会社へ入社後3~4年経った頃、2年間の沼津工場勤務を終え

東京に戻った直後だった。

沼津勤務時代に一人の歌手に魅了された。

それは、10代でデビューし、当時、中島みゆきのライバルと言わ

れていた、シンガー・ソングライターの山崎ハコであった。

小柄で細身の身体から可憐で透明かつパワフルな歌声だった。

有名であったが、本人の希望で一切、テレビに出演しなかった。

週一回、深夜3時から火曜日のオールナイト・ニッポンにだけは、

ちょうど中島みゆきが月曜日その翌日に出ていた。

僕は山崎ハコのラジオ放送を毎週カセットデッキに録音しながら

聞いていた。便りのハガキや手紙も2~3度出した。

結局、病弱(後に聞いたが,肝臓が悪く、酒、タバコはおろか

コーヒー、やラーメンもだめ)でそのイメージの暗さゆえ

1年で降板し、結局,1980年3月の最終回まで3~4ヶ月の

毎週カセットテープにコマーシャル・カットで録音した。

コンサートは日本青年館ホールをかわきりに3~4回

聞きに行った。

ハコのカセットアルバムは全部といっていいほど買い続けた。

僕は2~3年後に結婚し一時、ハコから卒業した。子育てや

仕事の忙しさで、それどこで無かった。

また2番目の子供ができる前に、父が白血病で、死んだ

こともあった。

その後、風の便りに、ハコは音楽活動を休止した事を聞いた。

何年か経って、平成6年に、ハコは昭和の名曲集をカバーした。

「十八番」で再起し僕はCDを購入しコンサートへも

チョクチョク行くようにした。

殆んど、家族には内緒でいつも最前列で聴いた。

21世紀になり、ハコはギターリストで古くからのサポート役

の安田氏と結婚し、僕はまた、ハコから卒業した。

(続く・・・・)

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2007年8月17日 (金)

コンサート(その1)

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昨夜、今、コーチングを受けているアキラさん主催のミニ・コンサートに参加した。

僕の自宅に割りと近くにある、横浜の東横線の大倉山駅のそば大倉山記念館であった。

第1部の前半は僕と同じ会社の青森の方CABさんで、ネブタ祭りの笛を吹かれた。

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ネブタの笛に続き、青森県の岩城山への御山詣出のお囃子を聞いた、アキラさんの娘さんのエミちゃんが

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お囃子の太鼓代わりに椅子で拍子を取った。とても上手だった。

後半はアキラさんの龍笛による「もののけ姫のテーマ」さらにインディアン・ラブフルートによる

「イグルソング」とても良かった。

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最後に第2部ではアキラさんとエミちゃんとIKUKOさんらによるオカリナなの演奏を楽しんだ。

実話、7月22日(日)に茅ヶ崎のヒ-リング・サロンのテラ・モアでアキラさんIKUKOさんKUMIKOさんらの

響きのヒリーング・セッションの後に、横浜山手イギリス館でファミリー・コンサートを開かれ、

僕は両方とも参加(聴衆として)したが、ファミリー・コンサートのミニ版といった雰囲気だった。

話は変わるが、8月4日(土)に横浜みなとみらい、馬車道通りの先、赤レンガ倉庫ホールで、

僕の友人のフォークを中心とした、アマチュアとしてはかなり本格的なコンサートが開催され、

観に行った。僕と同年代の友人は60年代、70年代を中心とした、

サイモン&ガーファンクル、ボブ・ディラン、ビートルズの曲、並びに日本のフォークなど

ギターとピアノのソロ、弾き語りなど2時間余りに渡って楽しましてくれた。

取り合えずは最近のコンサート。

(続きは僕のコンサートの思い出を書こうと思う)

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2007年8月14日 (火)

スピリチュアル

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僕の「スピリチュアル」の体験は今から1年前のコーチのアキラさんとの出逢いに始まる。

1年前の夏に、アキラさんと、有楽町の東京国際フォーラムの喫茶店で始めてお遭いした。

不思議な、優しさに包まれ、コーチングとカードリーディングとブログの世界に出遭った。

最初にカードりーディングの世界から入った。ドリーン・バーチュー のに大天使オラクルカードに興味を持ち、輸入版を最初に購入したが、ジャンピングカードという方法でこのカードの表紙になっている、OutDoorを何回も引くので、翻訳版の大天使オラクルカードも購入した。

元々占い好きだった僕は直ぐにはまった。このカードは実家と自宅に一つづつ置き、いつも楽しんでいる。次に

タローデパリというタロットカードを紹介され後に購入する。

その前にアキラさんとの1回目のコーチングがあり、4~5回のコーチングで僕は自分史の発掘とマインド・マップの世界に入っていった。

そして、スピリチュアルとしての僕にとって最大の出来事、横浜山手イギリス館で「女神の泉」というスピリチュアル・セッションに参加するそこで、ヒーラーのRyokoさんと出会い初めての本格的なヒーリーング・セッションを受ける。

そこで今、本格的にヒーラーとして活躍しだしている、チュプカさんやHijiri☆さんとに出会う普通の女性だと思っていたIKUKOさんも独自のスピリチュアル活動をしている。そしてRyokoさんとアキラさんがホステスとホスト役の神々しくも家庭的な雰囲気のセッションで僕は1月、2月、3月と3回出席した。

チュプカさんとHijiri☆さんとは何回もメールのやり取りをして、いろいろと影響、特に二人の個性的なブログは素晴らしい。ブログはアキラさんが欠かさず毎日、最新の記事を載せ、とても真似が出来ない独自の世界観がある。

僕は1回目のブログで紹介したとおり、今年の3月に2回目のコーチンでチュプカさんの社会人大学の卒業の、ブログ記事に感動し、「宇宙物理」の大学公開講座の受講に導かれた。

チュプカさんのスピコンでのリーディングで「天使の祝福カード」、そしてRyokoさんとの再会で勧められた「なんくるカード」同じくチュプカさんのカード・リーディングで知ったドリーン・バーチューの 「エンジェル・オラクル・カード」も購入した。

今、アキラさんと3回目のコーチンの最中であり、新しい世界に向けてチャレンジが始まっている。

また、Ryokoさんとの再会で勧められた「ガイヤ・シンホニー:地球交響曲」繋がりでHijiri☆さんとのメールのやり取りやDVDの購入により、チュプカさんのセッションで知り合ったリュウさんにDVDお貸した縁などで交流の輪も広がっている。

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2007年8月 9日 (木)

僕の夢

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僕の夢・・・・・一応、このテーマは完結したいので、

無理やり、結論としたい。

(その1)も(その2)も初心であった。

僕の現在の知識や、僕という存在自体が宇宙に比べ非常に小さなものである。

宇宙物理学、物理学、自然科学、真理の中で、僕の羅針盤をどう位置づけるか?

どだい僕でなく、僕らは3次元空間の中でプラス、時間の感覚でしか意識できない。

1,2,3・・・・一杯の次が、ー∞・・・・-1、0,1,2,3、・・・・n・・・・+∞の次が、

カオスと連続とアレフの中に・・・・・・

カオスとコスモス、

自然数と虚数も含めた連続数、

0と∞とπ、

真理は一つだけ・・・・・かも?

ビッグバン宇宙と神と人間・・・・・

137億年の進化、96%の暗黒物質、暗黒エネルキーの存在.。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

僕は目標とする、テーマを決めていない。

僕が還暦で、大学院に行こうとしている事は、

家族に話ていない。就職のステータスとしてでない。

学者や研究者になりたい訳でもない。

ただ単に、勉学したい・・・・・・。

いつ:2009年の夏以降、

どこ:第1志望は名古屋大学理学部物理学科杉山研究室

   第2志望は日本大学理工学部物理学科熊谷研究室

   第3志望はまだ決めていない。

希望は2年~3年で博士前期課程で学び

   後期課程は出来るなら

  東京大学理学部天文学科へ編入したい。

  その先は、考えていない。

でも、あくまでも僕のモデルケースである。

アインシュタイン、ハイゼンベルグ、ガモフ、ホーキングの

様な独創性はないが、名前を残すのでなく、勉学を楽しみたい。

一天文ファンの道楽として・・・・・・。(完)

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2007年8月 8日 (水)

僕の夢(その2)

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僕の夢の”宇宙物理学”のルーツを語ろう。

それは、今から34年前に大学で卒業研究テーマにある。

僕は、出身大学(日本大学理工学部物理学科)で、卒研で、

FFT(高速フーリェ変換)というアルゴリズムで、宇宙銀河系の高温プラズマの解析をするためのコンピュータ・シミュレーションの編微分方程式のプログラムを作る研究をしていた。(今、思い出してもカッコイイ・・・・・!)

僕の卒業ゼミの担当教授は、川上一郎教授で東大卒のプラズマ研究所の研究員で、いまだ実現されていない常温核融合研究のコンピュータ・シミュレーションの研究の大家であった。川上教授には後に僕の結婚式の媒酌人もお願いした。

そのゼミで、電子計算機と数値計算と天文物理学に出逢った。

もう一つ、何故、僕が物理学を選らんかは、単純で今から40年以上前に、「2001年宇宙の旅」という映画を観て、非常に(運命的に)感動したことによる。

この映画は、1960年初頭にスタンリー・キューブリック監督が映画用にSF作家アーサー・C・クラークに科学考証や脚本を依頼したもので人口知能HAL9000コンピュータの反乱や「モノリス」という知性物体の出現や宇宙船ディスカバリー号の木星探査やボーマン船長の人類より進化したスターチャイルドへの進化など21世紀になた今でも非常に興味深い。

僕はこの映画に魅せられ、原書(2001:A Space Odessey)も翻訳版の早川新書も買って読んだ、HAL9000は僕の憧れだった。因みに21世紀近くになってDVDの初めての映画鑑賞もこれにした。

これが、宇宙物理学や天文物理学への出発点だった。(To be continued)

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2007年8月 7日 (火)

僕の夢(その1)

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僕の夢は、後1年半で満60歳を向かえたあと(定年退職後) に、大学院に行くことだ。先日、脚本家で有名な内舘牧子さんの「養老院より大学院」という本に感化された。

簡単に解説すると、僕と同学年の内舘氏は、2006年に東北大学大学院の宗教学科を3年掛け卒業された。(タイトルといい、内容といい実に面白いので、僕ら団塊の世代並びに社会人学生を目指されている方々に是非にお勧めする。)

僕は最近(7月25日(水)の夕方)に、チュプカさんというヒーラー(彼女は正確にはヒーラーに近いと語られていた)にカード・リーディングのセッションを受け、カウンセリングとリーディングの結果、大学院への進学の後押しをされた。

僕の大学院への専行志望は宇宙物理学である。それは、今年の3月頃に僕の知り合いのコーチ(質素でスピリチュアルな生き方を夢見ている「虹の戦士」の一人)のアキラさんというコーチにコーチングを受けている中で起こった。

アキラさんとは1年以上前に、僕の尊敬している僕の会社の専任教育コンサルタントのT先生からの紹介で知り合った。

話を戻すと、3月頃にアキラさんと、2度目の1ヶ月に渡るコーチングの中で、幾つかの課題を実施(選択希望)する中で、チュプカさんの社会人大学卒業のブログに感動し、宇宙物理を勉強したいと希望した事による。(To be continued)

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