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2008年11月

2008年11月30日 (日)

11月(出会いと別れ)

11月は色々な出会い(再会)やチョットしたご無沙汰もありました。

まず、11月1日は、20年以上一人で暮らしてる母が

認知症ぎみなので昼に病院に母と弟と僕の3人で行き、

今後の話をしました。まだ独り暮らしが出来ると病院の

先生に言われました。

その足で、3時にボタニコのとうこさんのサロンへ、

セルフヘルプの日ということでフラワーレメディの

ボトリングを2本分調合して頂きました。

萌黄さんと3人だけだったので、皆の親の、

介護の話しなどをついつい話し込んでしまいました。

帰りに車で送って頂きました。「竹内まりや」の曲がながれ

駅に着くと、帰り際に図書券のプレゼントまで頂き、

アレ何か変だな?と思っていると後で携帯にメールが着き、

今後ボタニコを女性専用のサロンにするとのこと。

直ぐに了解したのですが、

何度かメールのやり取りで再度の確認をしました。

ボタニコのサロンには4、5回もうかがいました。

レメディ以外でも良いアドバイスを何回も聴き、

良くしていただき、大変に残念ですが、運命でしょう。

その日、退職後、勉強の連絡や研究に使うノートPCを、

自宅に購入し届くので自宅に帰りましたが。

勝手に買ったと大喧嘩し結局、箱を開封もせず、

PCを持って実家に行く。(涙)

10月の中旬に、やすらぎの部屋のコオさんのお話会でお遭いした、

greensleavesさんとその娘さんのひかりさんのピアノの弾き語り、

ライブ・コンサートを10月の下旬に下北沢で行われたが、

会社の元同僚が58歳で孤独死しそのお通夜で行けなかった。

11月11日に先日10月11日にお茶の水で日大理工物理学科、

創立50周年の立食祝賀会のホテルの裏のKAKADOという、

ライブハウスでひかりさん出演のライブ・コンサートを申し込んだが、

ひかりさん風邪が治らず12月に延期になった。

今度は是非行くつもりだ。

11月15日(土)に等々力で白山に一緒に登った

リーダーの吉岡さんの、お話し会と昼食を挟んでWS、

大変に面白かった。昨年富士山3周WSや御岳山

のお話し会のmakoさんやsaccoさんに再会し

コーディネート役のさとしさんと重さんの両夫婦とも

お会い出来楽しかった。

その足で17時から、

新宿で41年ぶりで会う方も多かった高校の同期会。

当時、高嶺の花だった、M子さんと41年ぶりに再会し、

僕のことを良く覚えていたらしく。最初の1時間、

僕のために料理を取り分けてくれたりして話しが弾んだ。

2次会では、「松村君、コッチきて飲もうよ・・・。」など

2次会から駆けつけたM子さんの親友の、

Tさんとも話しが盛り上がり彼女(Tさん)と中学校が

一緒だたと40数年ぶりに知った。

10時を過ぎ3次会のカラオケに誘われがこっそりと帰った。

5年後くらいに、再会を約束し40人強の懐かしい友達と別れた。

18日~20日にかけて上司と目標設定(もう僕の場合は

6ヶ月後の評価は無いのに)、

ベストセラーの「7つの習慣」を読むと云う自己啓発付き。

23日、母と二人で母方の菩提寺「曹渓寺」(麻布付近)に寺参り。

帰りに、高級なものが食べたいと云うので麻布十番の

中華飯店にて昼食、1万数千円も払う。

24日、江ノ島にて、やすらぎの部屋主催のシルバーアーチへ行く。

一番のお目当てはLotus_Arkさんのリーディング、彼女は今年一杯で、

ヒーラー活動を辞められるかもしれられないということで、「大学院」の

話しばかりする。彼女も日大から東大に移られたとのこと、最後に

マイミクシーを依頼すると快く数少ないのにマイミクさんになって

いただいた。

続いてgreensleavesさんのリーディングを受ける。

時間に余裕があった様で30分近くも、音叉の波動から

始めてみるカードリーディングを2回もして頂き、ついつい

始めて云うのに本音の根深い話しを洗いざらい話してしまった。

続いて、主催者でもある美保さんのタロットリーディング、

タロット大学で一緒だった試験官や卒業授与もして

いただいた方なので充実した10分間であった。

一貫して今日は僕への応援メッセージがでる。

13時30分からひかりさんのミニライブでシンセサィザーの

弾き語りの波動が凄かった。

さすがセミプロで21歳とは思えない出来栄えだった。

続いてミカエルさん(一番人気の)リーディングを受ける。

何か心配して、いい歳でもドキドキしていたが僕の一番好きな様に

しなさいとやはり応援のメッセージであった。

マチャミさんのプチリーディングと思ったがタイミングが合わず、

雨も降り出し最後の方でご一緒したヒロリンさんと主催者の

コオさんのミラクルカフェでチョットお話してヒロリンさんと

意気投合して帰る。

昨日29日(土)新しく買ったノートPCのWin Vist 版の

Borland C++のコンパイルと実行が独りで出来るようになり、

12月の中旬にC言語の3日間の教育に弾みがついた。

明日から僕にとって怒涛の12月が始まる。

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2008年11月 9日 (日)

業績の雑感

僕は大学院に合格したが(会社では自慢げに余り話していないが)、満60歳まであと4ヶ月余り会社で働くつもりだが、今ひとつ仕事に対するモチベーションが低下している。

チョットしたマリッジブルーと似た感情かも知れない。4ヶ月後には生活習慣が激変する。

僕は富士通株式会社で35年間働き、最初の5年間、ソフトウェア事業本部でプログラマーをし、残りの30年間、顧客は一貫して防衛省(前防衛庁)・自衛隊で在った。

特に30代の一番の働き盛りSE(システムエンジニア)としてズット海上自衛隊の仕事をしてきた。

因みに、故田中角栄元総理のロッキード事件で有名になったP-3C対潜哨戒機100機体制とその関連施設のシステムに携わってきた。

このP3-C関連の仕事は日米安全保障条約に基づく、特定防衛秘密規定資格が必要で、2期16年間、僕も保有していた。

今でも仕事の一部に情報セキュリティの管理の仕事をしていて、顧客情報の取り扱いにシビアーになっているが、差し障りのない程度にエピソードを紹介する。

いくつかプロジェクトの中で、「戦略図演装置」(略称海幹校システム)と云う海上自衛隊幹部学校シミュレーションシステムの予算要求支援というプレ作業を2年近くほぼ一人で海幹校の教官二名と検討していた。

NWGS(米国海軍大学シミュレーションシステム)の日本版だった。

僕は最後の詰めで、ベテランの先輩にバトンを渡し、当時一番の急務であった航空集団司令部対潜哨戒機中央指揮管理システムの開発の仕事にトレードされた。

その仕事は富士通が独占しつつある仕事で、その最中に「戦略図演装置」は日立製作所も密かに、検討し始めていることを顧客から聞き、某高官の鶴の一声で政治的に、日立が海幹校システムを受注した。僕は10億円近くのシステムと踏んでいたが、日立は30,40億円のシステムで落札し泥沼の開発状態で60,70億円の開発費で問題を抱えつつ、収束したが、世界の歴史は急激に様変わりしていた。

独のベルリンの壁の崩壊、ソ連(USSR)の崩壊から冷戦の終結、第3次世界大戦を想定する世界規模での戦略の変更から「戦略図演装置」も運用を異変したようだがもう定かではなかった。

その後、幾つかプロジェクトの開発実施の後、SEからマーケティングの仕事へと変わっていった。最初のプログラマーも、その後のSEもその時々無我夢中(ピーク時に半年で500時間近い残業)でやってきたが、マイペースでもあった。

防衛産業の何たるかを、横目で見ながら立ち去ろうとしている。僕にとってはもう潮時のようだ。

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