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2008年11月 9日 (日)

業績の雑感

僕は大学院に合格したが(会社では自慢げに余り話していないが)、満60歳まであと4ヶ月余り会社で働くつもりだが、今ひとつ仕事に対するモチベーションが低下している。

チョットしたマリッジブルーと似た感情かも知れない。4ヶ月後には生活習慣が激変する。

僕は富士通株式会社で35年間働き、最初の5年間、ソフトウェア事業本部でプログラマーをし、残りの30年間、顧客は一貫して防衛省(前防衛庁)・自衛隊で在った。

特に30代の一番の働き盛りSE(システムエンジニア)としてズット海上自衛隊の仕事をしてきた。

因みに、故田中角栄元総理のロッキード事件で有名になったP-3C対潜哨戒機100機体制とその関連施設のシステムに携わってきた。

このP3-C関連の仕事は日米安全保障条約に基づく、特定防衛秘密規定資格が必要で、2期16年間、僕も保有していた。

今でも仕事の一部に情報セキュリティの管理の仕事をしていて、顧客情報の取り扱いにシビアーになっているが、差し障りのない程度にエピソードを紹介する。

いくつかプロジェクトの中で、「戦略図演装置」(略称海幹校システム)と云う海上自衛隊幹部学校シミュレーションシステムの予算要求支援というプレ作業を2年近くほぼ一人で海幹校の教官二名と検討していた。

NWGS(米国海軍大学シミュレーションシステム)の日本版だった。

僕は最後の詰めで、ベテランの先輩にバトンを渡し、当時一番の急務であった航空集団司令部対潜哨戒機中央指揮管理システムの開発の仕事にトレードされた。

その仕事は富士通が独占しつつある仕事で、その最中に「戦略図演装置」は日立製作所も密かに、検討し始めていることを顧客から聞き、某高官の鶴の一声で政治的に、日立が海幹校システムを受注した。僕は10億円近くのシステムと踏んでいたが、日立は30,40億円のシステムで落札し泥沼の開発状態で60,70億円の開発費で問題を抱えつつ、収束したが、世界の歴史は急激に様変わりしていた。

独のベルリンの壁の崩壊、ソ連(USSR)の崩壊から冷戦の終結、第3次世界大戦を想定する世界規模での戦略の変更から「戦略図演装置」も運用を異変したようだがもう定かではなかった。

その後、幾つかプロジェクトの開発実施の後、SEからマーケティングの仕事へと変わっていった。最初のプログラマーも、その後のSEもその時々無我夢中(ピーク時に半年で500時間近い残業)でやってきたが、マイペースでもあった。

防衛産業の何たるかを、横目で見ながら立ち去ろうとしている。僕にとってはもう潮時のようだ。

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