日記・コラム・つぶやき

2009年7月11日 (土)

「1Q84」

今しがた 「1Q84」を完読した。

5月30日に購入し、ぐずぐずと読んでいた。

正直、読まねばならない本や、使うべき時間が、僕の廻りは、

山積していた。

村上春樹に出会ったのは、20年以上前、

多くの読者がそうであるかの如く

「ノルウェイの森」を読んだのがきっかけだった。

僕は、訳あって今、学生だが、40年近く前に、三島由紀夫が

あの市ヶ谷の自衛隊の基地で自決する前に書いた4部作

 「豊穣の海」をむさぼる様に完読したのと同じであった。

それはチョット幻想的で、美的で、セクシーで暴力的な自虐を伴っていた。

僕はもっと早くに「1Q84」を読破すべきであった。

「豊穣の海」の時もそう思った。

でも、これが僕の宿命だったのだろう。

「1Q84」は「ノルウェイの森」や同じく村上春樹の「ねじまき鳥のクロニク」を

2回も3回も読んだのと違い、三嶋由紀夫の「豊穣の海」と同じく2回目を読

む機会を持たないかも知れない・・・。

僕は「1Q84]の主人公の「天吾」と「青豆」の結末を予想した。

少し長編作品であるが時間に関係なく、これらの作品を一機に、むさぼる様

に読破した。僕にとってこの忙しい時期に!

「天吾」や「青豆」が誰かに伝えたくて伝えたくて、でも躊躇したように

僕も、今の気持ちを何人かの特定な、または宿命的に

今後、邂逅するだろう他人と共有したいと思っている。

「1Q84」や「豊穣の海」がその時代の申し子の傑作である

とも思うので!

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2009年4月16日 (木)

大学院入学

 4月1日に0時ジャストに学校のホームページに時間割(シュラバス)が掲載された。大体の講義の感触をつかんだ。

 4月6日(月)に大学院のガイダンスが日大理工の1号館でおこなわれ。各専攻単位にに大学院生が集まった。博士前期課程(M1)全体で480名 内他大学卒数十名、社会人が13名、後期課程(D1)30数名、日大卒が18名、物理学専攻で30名(M1)である。理工学全部で15学専攻である。

 ガイダンスで簡単な手続きと説明後、1号館のセレモニーホールで大学院生約500人の入学祝いの式典が1時間程おこなわれた。

 4月8日(水)に日本武道館で午前、午後に2回に分けて午前、午後ともに大学生の父母特に母親を多くみかけたが1名のみで午前で約1万3千人、午後で約1万3千人の入学式がおこなわれた。

 僕は今までの習性で土地勘もありJR市ヶ谷の駅から武道館へ出かけた。靖国通りは桜が満開で天気も良く桜吹雪の中靖国神社の前を通り武道館へ12時頃に出かけた。

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1時より、理工学部系は開催され、日本武道館までの前半の帰宅組とこれから後半の入学式へ向かう人でごった返し長い渋滞となっていた。

 ところどころに、サークル(バンド系の)勧誘やまた沢山の道案内の日大の学生(バイトかボランティアか?10代らしき男の子)僕に向かって「そこの人 渋滞してるので写真など撮ってないでどんどん進んで下さい」(笑)

 千鳥が淵の清水門へかけて数十分かけて、ちょうど1時間前の12時に 日本武道館に入るともう2/3の1階アリーナ席は埋まっていた。日大の吹奏部と合唱部が向かって右奥で何回も演奏や合唱をしてくれた。1時過ぎから入学式典が1時間余り取り行われた。

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 僕の廻りは見渡す限りの18歳で埋め尽くされた。男子も女子も9割以上が黒ぽいスーツである。僕も黒の礼服に白いシャツに白いネクタイと決めていってよかった。でも僕の数列まえの男の子の髪に桜の花びらがのっかり、とても初々しかった。

9日より授業開始で始めての授業で、M2(修士2年)の先輩Aさんと僕の同期と成るHO君と36年ぶりの授業をうける。

Aさんは、院生室長で10日の席決めで僕のマイデスクが決まった。

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まだまだ色々と解らないことだらけども一応順調なスタートをきった。

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2009年3月22日 (日)

自由人

  3月19日(木)ついに、サラリーマン最後の一日を終えた。

3月17日(火)に送別の昼食会を汐留の本社ビルで、

同期3名と共に労働組合の副支部長等からご馳走になった。

 

夕方、統括部の方を中心に20名ばかりの方々に、

送別の宴会をして頂き、祝いの図書券や花束を、頂き、

2次会のカラオケを楽しんだあとにタクシーで自宅まで帰った。

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本部長をはじめ大方のお世話になった方々に最後の、

挨拶を終え、関係者にメールを送り、19日の定時退社

の夕刻に云った、僕の最後のスピーチを書きます。

 

いまM統括部長から詳細に紹介がありましたので、

簡単に述べさせて頂きます。私は35年前に入社し、

5年間、ソフトウェア事業部でプログラマをし、

あとの30年は一貫して防衛関係に携わってきました。

これも一重に皆様のご指導、ご鞭撻の賜物と思っています。

退職後は日本大学大学院 理工学研究科 物理学専攻で

宇宙物理の博士号めざし5年間行けるところまで

行ってみるつもりです。

最後に富士通並びに特機システム事業本部のますますの

ご発展、そして月並みではありますが、皆々様のご健勝と

ご多幸を祈り最後の言葉とさせていただきます。

ありがとうございました。(深謝、深く一礼)

大拍手・・・中拍手・・・沈黙〔余韻)

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そして、資料をバタバタとシュレダーにかけ。

CDもCD用のシュレダーにかけ。

PCのファイル、ホルダー等を一切、削除し、ゴミ箱も削除し、

資料等私物を持ち、タクシー券を頂き実家へ帰宅した。

 

もう社会人でなく自由人である。

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2009年2月26日 (木)

最近の心境

昨日(2月25日)、会社のすぐ傍の千代田社会保険事務所で

厚生年金の手続きの更新をしてきた。

富士通に入社する前の記録の更新である。

僕は退職前にこの事務所にて手続きすることも知った。

 

そして昨日(水曜日)は残業禁止日なので、会社の帰りに、

会社(事務所)の近くの四番町図書館(千代田区九段南)で、

「祈りの力」(中村雅彦著)を購入申し込み(リクエスト)した。

 

そして、自宅近く(青葉台)の図書館でバーバラ・アン・ブレナン著の

「光の手」(上、下巻)を借りようとしたが、見当たらない!

散々調べてもらったところ、廃棄処分にしようとしていたみたいで、

地下倉庫に置かれ、図書館のスタッフの計らいで、無償で

頂いた。(リサイクル品)として・・・。

スタッフの方が、この本も僕に貰い受ける運命だったと、

おっしゃってくれた。

 

「癒しの光」(バーバラ・A・ブレナン著)も1年前に、古本屋にて購入済みで、

是非、読みたいが、読みたい本だらけで困っている。

僕は、今チョット、レイキもティーチャーディグリーのアチーブメントを

受けたくなっており、自分自身も女房、子供達、母などの家族も癒せないのに、

ヒーラーを志しているのか?

すべて、天の任せるままの行動をしようと思っている。

昨日の新月のアファメーションも願いごとを書いた。

 

何かスピリチュアルも次の段階に抜けそうな気分でいる。

社会人を直に終え、学生生活に入り何か吹っ切れそうな気がしている。

 

バーバラ・アン・ブレナンもダスカロスもドリーン・バーチューもACIMも

読破しようとしている。

宇宙物理学や天文学も本業だが、自由な思想に身を任していきたい。

5年後の宇宙物理学の博士号取得の他にもやりたいことが一杯ありそうだ。

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2009年2月20日 (金)

カウントダウン

もう退職まであと1ヶ月となった。カウントダウンの始まりである。

35年間のサラリーマン人生の終止符である。

 

2月2日に最近、師匠と慕うみとさんのセッションを受けた。

個人セッションに応じてくれてありがたいことである!

2月8日に人生の教師と慕うとうこさんのサロンに伺う!

 

僕は、先日Lotus Arkさんのセッションで訊いた、ダスカロスのことを、

みとさん、とうこさんに詳しく聞き、早速アマゾンで本を数冊、購入した。

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2月11日に江ノ島でコオさんとミカエルさんのお話会に出かけた。

コオさんにACIMの単語の意味を一番最初に振られ、その後も、

ブラウン運動のことなどを聞かれチョット、ドギマギした返答をした。

話の内容は当然,ACIM(奇蹟のコース)のことで、

僕は俄然にACIMが読みたくなり、アマゾンで原書を、そして、

とうこさんから教えて頂いた10年以上もACIMの日本語化に

当たっている田中さんのことを知り、彼女から日本語版の権利を購入した。

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ミカエルさんのお話は中々内容が興味深かく、ミカエルさんの

素顔がよくみえた。実に面白くためになった。

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2月13日の金曜日(この縁起の良い日(笑)に)、僕の最後の仕事といってよい

イベントの展示会の富士通の現場責任者を何とか終えた。

 

よく2月14日、横浜にて萌黄さんの紹介で陰陽師先生、

「日本の男性を男前に、女性をベッピンにする会」に参加、

先生の個性が大変に興味深く、大変に面白かった。

早速、夢枕獏の小説3巻を購入し、その映画化のDVD2巻を借りた。

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2月18日に会社の帰りに会社から歩いて15分程の日本武道館で、

Eric Claptonのコンサートを聴きに行く、外人アーティストの

ライブコンサートは初めってといってよい。

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2時間、E.Claptonらしい曲で、前半はI shot the seriff以外は新曲ばかり、

後半はRunning On Faithそして最後にBefore You Accuth Me,

Wonderful Tonightと,Layla(アコースティクバージョンでなく初期

のロックバージョン)で大盛り上がり、僕は2階席であったが、

2つ前の席の女の子2人は大乗りで全曲スング状態・・・。

僕もLaylaの曲は目頭が熱くなった。

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あと1ヶ月に最後の仕事の仕上げで3月19日以降,

4月6日のガイダンス、までは毎日サンデー状態である。(笑)

4月8日の日本武道館での入学式、4月9日以降授業と研究の

日々が始まる。

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2009年1月31日 (土)

あと、2ヶ月後に

ライブチャット占いをやってみた。

占い師さんは、圧倒的に女性だし、

たぶん占ってもらう方々も女性が多いのだと思う。

 

僕は何人かの占い師さんに、同じ様に質問を投げかけてみた。

東京近辺の占い師さんも多いが大阪や地方の方もいて、

具体的な状況を理解してもらうのに多少時間がかかり、

一晩中、徹夜で、複数の方々に占ってもらった。

 

僕の今一番の悩みは、4月から学校に実家から通うか

自宅から通うかの選択である。

学校までの通学費は、学割が利く、

7割も安くなるのだそうだ。

ただし、学校、神田駿河台まで、

実家なら狛江から御茶ノ水まで、(新宿経由)

自宅なら青葉台から神保町まで(一本)ある。

 

自宅は女房、子供と僕は家庭内別居中で、

家に寝に帰るだけで、居間に寝起きするだけで、

勉強するスペースもない。女房、子供は一部屋づつもって

いるが僕の勉強部屋など無い。

実家は母独りに4部屋もあるので僕の住む部屋はある。

ただし、家賃や食費を払っていないので・・・。

ただ、僕もじき還暦なので、認知症ぎみの母なので、

扱いも大変である。

 

今まで、週末(金~月)は実家で、

自宅は(火~木)は自宅であった。

恥かしい話しだが、自宅で家族で6,7年一緒に食事したことも、

食事を作ってもらったたことも無い。

最近1年近く、洗濯も自分で自分分はしている。

お金(給料、賞与は)お小遣いせいで、給与7万円、

賞与10万円を貰っている!?

馬鹿な話だ。

住宅ローンも既に完済し、子供たちも、

既に独立しだしている。

僕が定年退職したら、扱いはどうなるのだろう!?

退職金は半分づつ山分けと宣言している。

年金生活である。

 

それでも、僕は夢に向かい学校(大学院)へ行き、

一生涯、研究(宇宙物理)をしようとしている!

占い師さんのほとんどが、実家から学校へ通ったほうがと、

云う結果が多かった。

 

離婚も、どうでも良い。ただし、女房も子供達も

僕の老後は看てくれそうもない・・・。

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2009年1月18日 (日)

1月中旬の近況

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1月12日(祭)に江ノ島にて「やすらぎの部屋」の

新年会に参加させて貰った。

最初に参加者約40名の自己紹介と今年のビジョンと

今日(その日)持ち寄ったものか出し物の紹介があった。

そしてダンス(上の写真)に始まりアコーディオンの演奏、

アイゼアさんやコオさんのギターにのせグリンスリーブスさん等の歌や

天地流武術の演武や八十(やそ)さんの倍音等たくさんの

出し物で楽しませていただいた。

皆さんリハーサルなしのぶっつけ本番なのに素晴らしい!

 

 

先週末の15日に大学院の入学許可書が届き、手続きを終え、

あとはガイダンス後に学生証を貰うだけとなった。

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最近下記の本を読んでいる。

ゼミナール宇宙科学は一度ザーと読み、

藤井教授の薦めでつっかえながらも、

C言語でプロミングしながらも、演習問題をやっている。

 

 

あと僕の1回目(一番最初)のブログで紹介した、

内館牧子さんの、「養老院より大学院」の

文庫版を買って読んで入る。

中々、痛快で何度読んでも非常に面白い。

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後、グラフ作成のgnuplotの解説書を買い、

インターネットのウェーブサイトから

ダウンロードして下のようなグラフを

簡単に作成し学習している。

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論文等作成のためのLaTeXや、

C言語やgnuplotは研究でのシミュレーション用に

いずれも大学院の研究で使用する。

会社の仕事もまだまだ一山も残っているが、

春の桜のシーズンが待ちどうしい。

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2009年1月12日 (月)

年末年始

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新年明けましておめでとうございます。

2009年が皆様にっとっても良い年であるよう心からお祈りいたします。

 

2008年12月27日は新月で新月のアファメーションをしたためた。

8つも願い事、宣言などを書いた。

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この日から9日間の年末年始の休みとなり

ズット実家の狛江で過ごした。

チョット遅くなったが始めてエリック・クラプトンの日本武道館での、

コンサートキップを購入した。

海外のアーティストのコンサートは始めてといっていい。

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実家の近くで、水晶のブレスレットを購入した。

今、左手首にいつも身に着けている。

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元旦に昨年同様に明治神宮へ初詣に行き、

破魔矢三本とお守りを6個を買ってきた。

 

年が明け、小田急線の成城学園駅前の

カリス成城本店に行き、

レスキューレメディ10mlを購入した。

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カリス成城でフラワーエセンスの講習会に申し込んだが、

定員に満たず、4月以降に延期となった。

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年明け3日、4日とC言語とLaTeXのパソコンでの

インストールなど勉強を開始した。

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仕事はじめの次の日、御茶ノ水のKAKADO

で昨年に引き続きひかりさんのコンサートを

聴きに行く。

とても素敵だった。

対バンのアーティストも中々面白く楽しめた。

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数日前に大学院の入学手続きを終えた。

今年は僕にとって節目の年でもあり、

是非、日々を大切にしたい。

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2008年12月21日 (日)

師走に

今日やっと100数十枚の年賀状を作り終えた。

もう師走である。今月を振返ってみた。

12月7日に、雲一つない、凛とした快晴の午後、

富士山をハッキリと見晴らせる、木漏れ日の部屋で、

美東さんから、レイキのサードデグリーの

アチューブメントの復習を受ける。

テキストの補助教材に使った、

「実践レイキ」です。

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早速、3rdのシンボルとマントラを、

チョクチョクと使っています。

 

翌、12月8日から3日間、会社の教育で、

C言語のプログラミングの講習会があり、

さらに、12月8日に講習会の後、

お茶の水のKAKADOで、ひかりさんの

ライブコンサートを聴きに行った。

凄く素敵なコンサートだった。

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45分間あまりのクラッシック・ロックの

弾き語り。

音響効果も良く、迫力満点の

素晴らしいライブステージだった。

12月8日は特別な日で、

お釈迦様が悟りを啓いた日、

太平洋戦争の開戦日、

そして、元ビートルズのジョン・レノンが

NYで殺害された日でもある。

 

12月13日は三軒茶屋の昭和女子大で

「メサイア」のクリスマスコンサートがあり、

聴きにいった。美東さんも合唱の一員として

参加された。

ソプラノ、アルト、テノール、バスのソリストも、

オーケストラもそして百名ほどのコーラス隊も

圧巻で素晴らしかった。

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アンコールで「聖しこの夜」を、

何千何百人?という満員の観衆が小声で、

口ずさみ、「メサイア」の後だけに、

僕の目の前の熟年の男性も、感激のあまり、

ハンカチで眼を拭っていた。

僕も目頭がウルウルと熱くなった。

 

翌、12月14日は、赤坂で、Lotus_Arkさんの、

セッション(イマジネーションクラス)があった。

チョット憶えていたことを紹介します。

「習うより慣れろ!」

「舵は自分で取れ!(王道)」

「(ガイドさんを)敬意を表するが、崇め立てない!」

頭では理解出来ますが、実行するのは難しいデス。

(瞑想のその一)空気の温泉はリラックスと集中で!
入って行けました。導入の基本はシルバーアーチで一度
教えていただいたので!

(瞑想のそのニ)胸から入って、第三チャクラ(胆でい)の付近に
カナリアイエローの光(エネルギー)を取り込む。
・目の前(15センチくらいにビーカーまたはフラスコに)エネルギーが
何%くらい溜まっているかを計る!
僕は60%くらい?に感じた。
・メーター方式でも良い!

(瞑想その三)現在の歳から5歳づつの若い経験を
イメージしていき、最終的に母の胎内の先までさかのぼる。
僕は退行していくと、自分の体内の身体から暗闇の中にドンドン上空へ
浮遊するのを感じた!

(瞑想その四)胸から入って、無限の可能性の世界で、
プロフェッショナルガイドさんから明確な意図をもった質問をする。
来年の何時頃に何をどうするか?ガイドさんに訊く。
僕はアルベルト・アインシュタインさんに、
来年の7月22日に奄美諸島で起る皆既日食を観に行くべきかを尋ねた!
答えは「いいんじゃない!」でした。重力レンズの実験は出来ないけれど。

(最後の瞑想は)総括の瞑想?よく解かりませんでした。

ハイヤーセルフとか(エドガワーケイシーの?)アカシックレコード等は
理解不能でした。

皆様ありがとうございました。

師走は何かと忙しいですが、皆様も良いお年を!!!

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2008年11月30日 (日)

11月(出会いと別れ)

11月は色々な出会い(再会)やチョットしたご無沙汰もありました。

まず、11月1日は、20年以上一人で暮らしてる母が

認知症ぎみなので昼に病院に母と弟と僕の3人で行き、

今後の話をしました。まだ独り暮らしが出来ると病院の

先生に言われました。

その足で、3時にボタニコのとうこさんのサロンへ、

セルフヘルプの日ということでフラワーレメディの

ボトリングを2本分調合して頂きました。

萌黄さんと3人だけだったので、皆の親の、

介護の話しなどをついつい話し込んでしまいました。

帰りに車で送って頂きました。「竹内まりや」の曲がながれ

駅に着くと、帰り際に図書券のプレゼントまで頂き、

アレ何か変だな?と思っていると後で携帯にメールが着き、

今後ボタニコを女性専用のサロンにするとのこと。

直ぐに了解したのですが、

何度かメールのやり取りで再度の確認をしました。

ボタニコのサロンには4、5回もうかがいました。

レメディ以外でも良いアドバイスを何回も聴き、

良くしていただき、大変に残念ですが、運命でしょう。

その日、退職後、勉強の連絡や研究に使うノートPCを、

自宅に購入し届くので自宅に帰りましたが。

勝手に買ったと大喧嘩し結局、箱を開封もせず、

PCを持って実家に行く。(涙)

10月の中旬に、やすらぎの部屋のコオさんのお話会でお遭いした、

greensleavesさんとその娘さんのひかりさんのピアノの弾き語り、

ライブ・コンサートを10月の下旬に下北沢で行われたが、

会社の元同僚が58歳で孤独死しそのお通夜で行けなかった。

11月11日に先日10月11日にお茶の水で日大理工物理学科、

創立50周年の立食祝賀会のホテルの裏のKAKADOという、

ライブハウスでひかりさん出演のライブ・コンサートを申し込んだが、

ひかりさん風邪が治らず12月に延期になった。

今度は是非行くつもりだ。

11月15日(土)に等々力で白山に一緒に登った

リーダーの吉岡さんの、お話し会と昼食を挟んでWS、

大変に面白かった。昨年富士山3周WSや御岳山

のお話し会のmakoさんやsaccoさんに再会し

コーディネート役のさとしさんと重さんの両夫婦とも

お会い出来楽しかった。

その足で17時から、

新宿で41年ぶりで会う方も多かった高校の同期会。

当時、高嶺の花だった、M子さんと41年ぶりに再会し、

僕のことを良く覚えていたらしく。最初の1時間、

僕のために料理を取り分けてくれたりして話しが弾んだ。

2次会では、「松村君、コッチきて飲もうよ・・・。」など

2次会から駆けつけたM子さんの親友の、

Tさんとも話しが盛り上がり彼女(Tさん)と中学校が

一緒だたと40数年ぶりに知った。

10時を過ぎ3次会のカラオケに誘われがこっそりと帰った。

5年後くらいに、再会を約束し40人強の懐かしい友達と別れた。

18日~20日にかけて上司と目標設定(もう僕の場合は

6ヶ月後の評価は無いのに)、

ベストセラーの「7つの習慣」を読むと云う自己啓発付き。

23日、母と二人で母方の菩提寺「曹渓寺」(麻布付近)に寺参り。

帰りに、高級なものが食べたいと云うので麻布十番の

中華飯店にて昼食、1万数千円も払う。

24日、江ノ島にて、やすらぎの部屋主催のシルバーアーチへ行く。

一番のお目当てはLotus_Arkさんのリーディング、彼女は今年一杯で、

ヒーラー活動を辞められるかもしれられないということで、「大学院」の

話しばかりする。彼女も日大から東大に移られたとのこと、最後に

マイミクシーを依頼すると快く数少ないのにマイミクさんになって

いただいた。

続いてgreensleavesさんのリーディングを受ける。

時間に余裕があった様で30分近くも、音叉の波動から

始めてみるカードリーディングを2回もして頂き、ついつい

始めて云うのに本音の根深い話しを洗いざらい話してしまった。

続いて、主催者でもある美保さんのタロットリーディング、

タロット大学で一緒だった試験官や卒業授与もして

いただいた方なので充実した10分間であった。

一貫して今日は僕への応援メッセージがでる。

13時30分からひかりさんのミニライブでシンセサィザーの

弾き語りの波動が凄かった。

さすがセミプロで21歳とは思えない出来栄えだった。

続いてミカエルさん(一番人気の)リーディングを受ける。

何か心配して、いい歳でもドキドキしていたが僕の一番好きな様に

しなさいとやはり応援のメッセージであった。

マチャミさんのプチリーディングと思ったがタイミングが合わず、

雨も降り出し最後の方でご一緒したヒロリンさんと主催者の

コオさんのミラクルカフェでチョットお話してヒロリンさんと

意気投合して帰る。

昨日29日(土)新しく買ったノートPCのWin Vist 版の

Borland C++のコンパイルと実行が独りで出来るようになり、

12月の中旬にC言語の3日間の教育に弾みがついた。

明日から僕にとって怒涛の12月が始まる。

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2008年11月 9日 (日)

業績の雑感

僕は大学院に合格したが(会社では自慢げに余り話していないが)、満60歳まであと4ヶ月余り会社で働くつもりだが、今ひとつ仕事に対するモチベーションが低下している。

チョットしたマリッジブルーと似た感情かも知れない。4ヶ月後には生活習慣が激変する。

僕は富士通株式会社で35年間働き、最初の5年間、ソフトウェア事業本部でプログラマーをし、残りの30年間、顧客は一貫して防衛省(前防衛庁)・自衛隊で在った。

特に30代の一番の働き盛りSE(システムエンジニア)としてズット海上自衛隊の仕事をしてきた。

因みに、故田中角栄元総理のロッキード事件で有名になったP-3C対潜哨戒機100機体制とその関連施設のシステムに携わってきた。

このP3-C関連の仕事は日米安全保障条約に基づく、特定防衛秘密規定資格が必要で、2期16年間、僕も保有していた。

今でも仕事の一部に情報セキュリティの管理の仕事をしていて、顧客情報の取り扱いにシビアーになっているが、差し障りのない程度にエピソードを紹介する。

いくつかプロジェクトの中で、「戦略図演装置」(略称海幹校システム)と云う海上自衛隊幹部学校シミュレーションシステムの予算要求支援というプレ作業を2年近くほぼ一人で海幹校の教官二名と検討していた。

NWGS(米国海軍大学シミュレーションシステム)の日本版だった。

僕は最後の詰めで、ベテランの先輩にバトンを渡し、当時一番の急務であった航空集団司令部対潜哨戒機中央指揮管理システムの開発の仕事にトレードされた。

その仕事は富士通が独占しつつある仕事で、その最中に「戦略図演装置」は日立製作所も密かに、検討し始めていることを顧客から聞き、某高官の鶴の一声で政治的に、日立が海幹校システムを受注した。僕は10億円近くのシステムと踏んでいたが、日立は30,40億円のシステムで落札し泥沼の開発状態で60,70億円の開発費で問題を抱えつつ、収束したが、世界の歴史は急激に様変わりしていた。

独のベルリンの壁の崩壊、ソ連(USSR)の崩壊から冷戦の終結、第3次世界大戦を想定する世界規模での戦略の変更から「戦略図演装置」も運用を異変したようだがもう定かではなかった。

その後、幾つかプロジェクトの開発実施の後、SEからマーケティングの仕事へと変わっていった。最初のプログラマーも、その後のSEもその時々無我夢中(ピーク時に半年で500時間近い残業)でやってきたが、マイペースでもあった。

防衛産業の何たるかを、横目で見ながら立ち去ろうとしている。僕にとってはもう潮時のようだ。

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2008年10月 4日 (土)

秋分ツアー富士山三周

余り同行者がブログに書かないので

僕が少し詳しく報告させてもらいます。

9月22日(月)飛び石連休の日

一応会社に出て統括部会等を行った。

午後は早めに午後半休をもらい、実家に帰る。

(体調不良と云うことにして・・・)

午後9時過ぎに、実家を出発しようと思っていたが、

母が何をやてっるかと、怒り出したので、

午後8時に実家を出発。二子玉川に9時に着く。

出発予定は、午後10時半、二子玉の東急の

紀伊国屋書店も9時閉店で、駅前コーヒーショップで

IpodでOASISのDon’t look back in anger、

を何回も繰り返し聴きながら本を眺めながら時間をつぶす。

1時間過ぎに待ちきれず、待ち合わせの二子玉川の

改札前に行く。

程なく、奈良のくりしゅうさんとその友達の女性と会う。

くりしゅうさんバッチリ、ネクタイにフォマルスーツ一見、見間違う。

去年の富士山3巡ツアーもくりしゅうさんと一緒だった。

10時半過ぎても、集まらない。ドライバーのさとしさんから、

参加者6名と聞いていたのに・・・・・。

美東さんから、携帯メールが入り少し遅れるとのこと。

白山に一緒に登った重(シゲ)さんは途中で合流とのこと。

駅前のみずほ銀行前に誘導され、やっと落ち合い、

5人で出発。11時前、余り渋滞せずに、12時ごろ

重さんと合流し仮眠のための休憩処の施設に着く。

結構、綺麗でリーズナブルな施設であった。

バスタオル等レンタル2百円、牛乳、ジュース百円は安い!

温泉で汗を流し、僕は無料のインターネットでメール等を確認後、

仮眠室にて1時間半仮眠。4時に起き、自動車にて小富士に出発。

天気は快晴、結構綺麗な星空でも、天の川は見えなかった!

5時に小富士ふもとに到着。30分歩き小富士にてご来光を仰ぐ。

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6人全員でさとしさん代表で富士山に向かい簡単な神事。

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自動車に戻り、山宮浅間神社に出発。去年もここに、

2回立ち寄った。山宮浅間神社は屋代は無く、簡疎な、

御神体代わりの岩石と樹齢数百年のご神木があるだけだが、

一番にエネルギーを感じ写真もはばかった。

途中、コンビニに立ち寄り車内で朝食後、

冨知神社に参拝、8時半。

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境内の彼岸花(曼珠沙華)が綺麗だった。

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冨知神社は元々は、本宮浅間大社のところに有ったものを、

この地に移されたとのこと、神官、巫女はいないが、丁重に

祭られてる由。その後、大塚丘に参拝。去年も2回参拝した。

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1周目終了。

2周目まずは、重さんの希望で、今回

始めて、阿祖山大神宮を参拝、

重さん感激の余り拍手せず!

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その後、富士山本宮大社に向かう途中、

富士の焼きそばを皆で、昼食する。

大変おいしかった。

富士山本宮大社にて、参拝。13時半。

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その後、北口本宮浅間神社を参拝、

僕はここで、大吉のおみくじを引く。

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15時半過ぎ。2周目終了。

3周目に入る。

皆でアイスクリームを食べる。

人穴浅間神社参拝。18時。

3周目の最後に、大塚丘にて、暗闇の中、懐中電灯の中、

美東さん代表で、今回のご縁の感謝の神事。19時半。

帰路に着くも。重さんと別れた後、渋滞に巻き込まれる。

東京着22時。23時に帰宅。

本当に楽しかったが、疲れた!!

参加の皆様、本当にありがとうございました。

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2008年9月13日 (土)

夢への一歩

僕の夢で始まったこのブログも一年余りで、

やっと夢から現実の一歩を踏み出した。

9月9日に日本大学大学院理工学研究科 物理学専攻、

藤井(熊谷)教授の研究室に合格を許されました。

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僕は自身の実力で合格したなどとは決して、思っていない。

いろいろな方々の暖かい応援の賜物であると思っている。

今回の院試の研究計画書の唯一の参考文献も、

藤井先生の大学院時代(東大天文学科博士課程)

の指導教官であられた野本憲一東大教授編の

「元素はいかにつくられたか」(超新星爆発と宇宙の化学進化)

から学んで書いたものである。

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この本は2007年9月27日に発刊され、2008年3月13日に

藤井先生の研究室で紹介され、神田の神保町の三省堂書店で、

即購入した。

この本が僕のバイブルであり、御茶ノ水駿河台が

僕の聖地であり、神田明神が僕の氏神様といってもいい。

僕は、神保町駿河台にある明治大学を昨年の3月末に、

社会人大学生として卒業された美東さんのブログに感動し、

ちょうどその頃、同じ会社のアキラさんのコーチングの最中に、

僕も大学に戻って勉強したいと、自己啓発され、

日大総合生涯学習公開講座の春期講座の宇宙論、

そして藤井先生がプロデゥースされた秋期講座の

最新の天文学との出逢いと成った。

僕はその時に藤井先生の講義で超新星SN1987Aの事を知ったが、

実は、僕は1986年の夏、会社でアキレス腱を切り、

会社の病院で1ヶ月余り入院中に宇宙物理学の勉強をしていた。

その熱意も今回の口述諮問で試験官に紹介し、

ポイントを稼いだ。

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そして試験10日前の出願の後に、陶子さんのサロンで、

フラワーレメディを調合して頂き、試験前日の23時から30分間、

美東さんに遠隔ヒーリングをお願いし、口述諮問の直前に、

レスキューレメディの原液を2滴口に含んだ。

口述諮問では、試験官の先生2名に、良く出来た研究計画書と、

褒められ、仕事の合い間に猛勉強したにもかかわらず、

突っ込まれる諮問は無しに、僕の宇宙物理学への熱意が、

伝わる手ごたえを感じた。

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9月9日の発表の前後に2回参拝した神田明神の入り口の清めの

水場の石には、「眞心」と彫りこまれていた。

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2008年8月30日 (土)

院試の口述諮問の想定事項

 僕は9月6日(土)に社会人枠で大学院の入試を受けるつもりです。研究計画書に第一世代星の研究がしたいと書きました。

既に、出願に業績報告書と研究計画書等を提出済みです。

僕の研究テーマは「第一世代星の生成、爆発、進化」としました。

宇宙誕生での137億年前のビックバンの1億年以内に創られた最初の恒星が、第一世代星です。

第一世代星は太陽など今、輝いている星とは性格が異なり、質量は太陽の数百倍、

そして、重元素が全くない純粋な水素とヘリュウムから出来ていて(金属欠乏星)、寿命が数百万年と考えられています。

太陽の寿命が100億年余りと想定されるのに、第一世代星は短命ですが不明です。

太陽は誕生して46億年あと約50億年後に赤色巨星から白色矮星に変わります。

質量が太陽の10倍以上だと、超新星爆発を起こし短期間で中性子星やブラック・ホールに変わっていきます。

第一世代星のカギを探るのに、我々の銀河系(天の川銀河系)の中に生残っている老齢の星にあります。若い星は世代交代するたびに重元素が増えていきますが、老齢の星は宇宙初期に生まれたため、重元素が非常に少ないのです。

具体的には、宇宙初期から現在に生き残っている金属欠乏星の候補として赤色巨星HE0107-5240と、ごく最近発見された最も鉄組成の少ない準巨星HE1327-2326が、第一世代星の可能性を指摘されていました。

しかし、途中を省きますが、最近の研究でこの2つの候補星は、第一世代星でなく、第二世代星であるらしく、まだまだ第一世代星は不明ですが、コンピュータ・シミュレーションで、

研究され、僕もその研究をしたいのです。

詳しくは;http://www.th.phys.titech.ac.jp/de07/presentation/28/suwa.ppt

僕は、合格できたら、是非この分野の研究をしたいと思って、院試に臨みます。

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2008年8月 2日 (土)

7月そして8月(白山登山)

7月17日~19日と石川県の白山へ神事登山に出かけた。

東京からは美東さん、さとしさんと僕の三人が、さとしさんの車で、

片道約10時間かけて、出かけた。猛暑の前、梅雨明け前である。

北海道から9名内男性二人、兵庫県から小学校6年生の親子、

母娘の2名、神奈川県から1名の計15名の参加となった。

17日夕方北海道チームは千歳空港から小松空港へ到着、

我々より先に旅館へ着いていた。登山前日、夕飯、自己紹介など

の後10時就寝、翌18日4時起床、6時から登山口、別当出合から

登山開始途中予想とおり雨が降り出し、僕は5,6番てで登って

いたが段々疲労がたまり遅れ出し女性陣に次々に抜かれ始めた。

僕が年齢的に最年長と云うことも理由にならない。登り始めて3時間後

雨でぬかるみ出したとき木の根っこに滑りチョットした崖から1mばかり

滑り落ちた、怪我は無かったがそこから中々脱け出し上がれない。前後誰もいない。

やっとの思いで上がると体力を使い果たしふらふらとなる。兵庫県から来られた親子と

しんがりを勤めた神奈川のSさんに助けられ、甚之助非難小屋の三百㍍手前でSさんにリックを持ってもらった。もう足腰に疲労が溜まりまっすぐ登れず足は前に行っても、身体は誰かに引張られた気がしてしりもちをついてしまうほどだった。

Sさんは甚之助非難小屋で待つ様に勧められ僕も、登頂を断念した。約2000㍍の地点あと700㍍の高さが壁となった。僕は5時間、甚之助非難小屋で皆と下山に合流するまで小屋で待った。

13時から神事と聞いていたので、僕も持ってきた酒、水と塩を白山頂上に向かい置き20分祈りを捧げた。後で聞いたが13時から14時まで1時間神事であったとの事だった。

今回の白山神事の代表である吉岡氏と僕より1歳違いのN氏の黄色いヤッケを15時過ぎに見えた時にほっとした。下山も大変、5時間の休息で疲労が回復したと思い、

甚之助非難小屋から別当出合まで先に吉岡氏とNさんと3人で下山を始めると、

別当出合あと3キロ手前で、また足腰に疲労がたまり遅れ出し登りと同じく、

身体が後ろに引張られしりもちをつき支え様としたときに、杖を折ってしまった。

そこへ後から来た女性のMさんとSさんが吉岡氏に携帯で連絡し、N氏がリックを持っていってくれた。吉岡氏が懇切丁寧にマンツーマンで付き添ってくれた。

怒ったり、叱ることなく3キロで登山の何ったるかを教えてくれた。

翌19日に龍の口神事の後、白山神社で参拝後、東京チームは本隊チームと別れて、北陸路を抜け、10時間余りの帰路となった。一人だけ登頂できなかったのは

気は重かったが、良い気分転換になった。実家に戻ったは翌20日の2時過ぎだった。

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7月そして8月(院試)

8月1日は日食と新月でした。友人と祈り会わせを19時からしました。

祈りは「詫び、感謝、願い」を心をこめて祈り合わせをしました。

明けて2時55分に新月のアファメーションを書きました。19時13分から8時間以内ギリギリでした。

7月はなんと言っても院試と白山の登山でした。

そして両方とも、不完全燃焼に終わってしまいました。

少し詳しく報告します。

院試は、会社の夏休みを利用し、試験前1週間の休みをもらい、

自宅近くの図書館の自習室で毎日10時間以上の学習をしました。

そして、試験は一般受験と云う事で、見渡す限り、私の娘、息子以下の大学4年生ばかし。

最初に英語の試験、過去問を5回分やったけど、今年の問題は難しい。

最初、理系英語解読問題は得点源のはずが、やたら難しい、

摂氏 華氏の変換問題、全く解らず273.11K°のケルビン温度と勘違い。

後の2問も回答不能、気を取り直し、理系単語の選択問題、一応全部回答。

英作文選択完成問題一応全部回答チョット自信なし、最初の長文読解、一応、解答するも時間切れ!

(あとで志望の藤井教授にメールで聞くと受験生のレベルが低かったので、合格点は取れていたとの事)

次に物理の専門、まずは統計力学「ファスナー」の問題、見たことも聞いたことも、解いたこともなし、後で参考書、テキストを見ても載っていない!、零点!

物理数学は2重積分と常微分方程式、行列式の固有地問題、四苦八苦で解くも自信なし。電磁気学はアンペール法則の問題、途中から磁場の力の公式が思い出せないやばい!

量子力学はシュレディンガー方程式とハミルトニアン演算子の3次元振動子の問題、難しいが適当に書く。

力学は衛星系の運動方程式と運動エネルギーと位置エネルギーの問題、適当に書くも自信なし!最後に単振動などと余計なことを書く!

統計力学以外、考えられる問題だったが、ケアレスミス多し!

発表の結果は残念ながら不合格だった。そして9月6日(土)に社会人1期の、再試験を藤井教授に許され、受験する事にした。社会人入試は、

筆記試験は無いが、業績報告書、研究計画書、履歴書を基に、

口述諮問がある。業績報告書ほぼ完成したが研究計画書は、

「超新星爆発」のこと書こうと思っているので、猛勉強中、、悶々と

悪戦苦闘中である。

後は白山神事登山のことを書こうと思っているので^^

(続く!!)

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2008年6月21日 (土)

僕の夢(悪夢)

 僕は最近、同じパターンの夢(Non-REM&REMドリーム)である。部屋の電気を煌々と付けっぱなしで、自宅に居る時は、携帯のインターネットを点けっぱなしで、実家に居る時も、部屋の電灯とPCを点けっぱなしで、悪夢をみる。

悪夢は、院試に落ちるとか云うので無く、もっと人生で象徴的で暗示的な夢なのである。今日の夢を紹介しよう!

その今日(6/21:今朝深夜)の夢の紹介の前に簡単なプロローグを話す。

 昨日(6/20)は会社の創立記念日で午後2時半に終業となった。そして昨日は金曜日だったので、高円寺の予備校で3時15分から、物理の質問(直前入試対策)時間が1時間半程、新たに出来た。

 (余談だが、創立記念日は6月末の株主総会で完全に勇退される代表取締役の黒川社長の最後のスピーチである。因みにスケールは1万倍ぐらい違うが僕の賞与(ボーナス)の支給日で昨夜に女房からさらに約1割の10万円を貰った?)

僕は昨日の講義が電磁気学の、僕の院試で前回出題された、ガウスの法則とアンペールの法則の講義の予定であったので、過去問を質問しようかと思ったが、石川先生と予備校の事務局の人以外に誰もいなかった。生徒はついに2人しか、現れないなかった。

 質問は、当然僕が一番、最近悩んで時間を、圧倒的に費やしている量子力学の話しになった。僕は、amazonで2冊も購入した(間違って)サイエンス社の「新・演習 量子力学」と受験する大学の藤井教授に頂いた平成19年度の日大理工学生向けの「量子力学演習」と先週、石川先生の勧めで、大学院の受験の出願の日に神保町で購入した「ファイマン物理学」のテキストの話しとなった。

石川先生、曰く「新・演習 量子力学」だけでも足りない、サイエンス社の演習書は間違いが多い、「ファイマン物理学」は原書で読んだほうが良い。(ファイマンは朝永振一郎と同じく1965年にノーベル賞を受賞している。アインシュタインがいたプリンストン大学卒からMIT教授として学生に書いたテキストで大変読み易いと定評のある教科書との事)

僕は後2週間で物理学5教科と英語を学ばねば成らないが、ファイマンの原書を読む実力も時間も無い。石川先生は良い量子力学の本を持ってきて貸し手下さる云われた。

シュレディンガー方程式とハミルトニアン演算とハイゼンベルグの行列力学と調和振動子の基礎的なことで、頭が一杯なのだ。

物理学を学ぶ人なら誰でも知っている有名な「シュレディンガーの猫」と云う思考実験がある。これはコンピュターの父と呼ばれる、ゲーム理論等で、有名なジョン・フォン・ノイマンの量子力学の数学的確立(確率?論)に対しだされたものだそうだ。(興味のある方はインターネットで調べて欲しい)

もうひとつの思考実験で、宇宙物理学で再度、見直されているのが、アインシュタインの宇宙定数と云う、一時はアインシュタイが自分の生涯で最大の誤りと指摘した宇宙定数(コスモロジカル・コンスタント)である。つい最近、ダーク・エネルギーとして宇宙物理学の最大の関心事(謎)の一つに復活している。

プロローグが長くなたので主題の僕の悪夢に戻そう。

その夢は僕が不可思議な芸をする芸人になっていることだ、その芸で35年間、生業(なりわい)をしている。そして僕はその芸のカラクリを他の誰にも教えない。チョット大げさだが、アマデウス・モーツアルトやアルベルト・アインシュタインがあの天賦の才能を生業としたように・・・。

そして第一の人生でその芸を完結して、第2の人生に生まれ変わる準備への葛藤である。

お金稼ぎ、家族を養う芸からの脱却である。周りは第1の人生(生業)と同じものを勧める。僕はもういやだとつぶやいている。その夢でも次のオファーがあることだ。僕は一般の人から見たら道楽をしようとしている。僕は第3と云う人生を経験をしないと思うが、第2の人生は確実に来ることを、強く感じている。第2の人生でオファーが本当にあるにせよ、無いにせよ、道楽へ走ろうとしている。

大変に少ないが一時退職金の半分は僕に勝手に使わして欲しい。エコでなくとも、エゴであってもだ・・・。

そう!僕のREM睡眠の夢はいつも訴えている。このところ電灯を煌々と付けっぱなしで、ひどい時は明け方まで布団をひかずに寝込んでいる。そして悟った様に、うなされてハット起きる。そして現実の白昼夢が淡々と駆け足で進む!!!

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2008年6月14日 (土)

受験前、あと3週間

日本大学大学院理工学研究科の物理学専攻として6月10日の午後(出願期間:6月10日~6月19日)に出願に出かけた。御茶ノ水の駿河台の1号館の1階の事務室にて卒業証明書と成績証明書をもらった。

その後に事務室の1階となりの入試事務室にて受験表を受理してもらった。(出願初日のためにかなり初めの番号だった。)

出願の前に担当教授に会う様にと入試事務室に云われたが、藤井教授は非常に忙しく(何回電話しても留守で連絡が取れず、会議と授業とで、教授は昼休みが20分しかない程だった)最後には6月7日(土)朝7時半に、Eメールにて、出願の許可を頂いた。(かなり好意的な返事のメールを頂いた。)

教授の研究室は4号館の4階とかなり古い建てやで(今年の4月に移られたとの事だが、実は僕の不得意だった物理実験を35年以上前にした建てや)、4階建てなのでエレベータも無いほどだ。

受験表を受け取った後に、藤井教授の研究室にアポイント無しに覘いてみた。やはり誰も居らず、ショポショボと!!!階段を下りていくと、バッタリと藤井教授と偶然にお遭いした。

階段にて約10分程度の本当に立ち話で、後で思うと、非常に頓珍漢な話しをしてしまった。(汗)sweat01

受験表の研究目標は藤井教授の研究テーマをそっくり写しましたと云うと教授は良いですよ、との事だった。因みに「超新星残骸の放射、銀河・銀河団の放射と化学進化」と書いて提出した。

今はこのところ通勤中に各駅停車で約1時間、細切れに物理学の勉強をしている!自宅にても、一人になれば1時間ほど以上は、物理学の勉強(力学、電磁気学、量子力学)をしている。

予備校も直前まで、活用するつもりだ。授業のほかに過去問題を解いて採点してもらうつもりだ!

受験日は7月6日(日)の9時前に、集合と後3週間となった。試験前1週間は休みを頂くように会社に通知を出した。

後はやる気の問題だ、物理学(5教科:力学、電磁気学、量子力学、統計物理学、物理数学)の120分とその前に英語60分と面接10数分ということだ!

1夜漬けとは行かず、1週間漬けとなったが、この3週間は充実した日にしたい。毎晩寝る前も、そして夢の中でさえもイメージトレーニングをしている。

一歩一歩、階段を登るように進めている!!!

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2008年5月19日 (月)

僕の夢(番外)

僕は、約1年弱まえの昨年の8月初旬に、このブログを始めた。タイトルは「僕の夢(その1)」だった。僕の夢であった大学院の受験は、もう1ヶ月余りと目前に迫っている。マラソンレースなら30キロ以上の地点だけれど、順位は良くない。でも僕は受験(院試)はレースではない。自己実現だと!思っている。募集要項も今月(5月)末発表とのこと。僕は複数受験しないつもりだ。

予備校の基礎物理と院試対策英語がやっとで、量子力学の演習、や1回だけの講義の熱・統計力学や、物理数学の本格的学習は殆ど手付かずだ。一昨日の金曜日3回目の力学。(本当は4回目、僕は予備校の事務局のミスで)2回目の講義をGWの休みと間違えてパス(自主休講)してしまった。教科書や参考書や受験するゼミの教授から頂いた問題集(過去問題集も含めて)やることだらけで、2,3割の準備しか出来ていない。

例えば、今日(日曜日)の英語の宿題も土曜日にする予定が、どうしてもヤル気がでず、日曜日の授業の直前に終っている状況だ!今日も量子力学か、物理数学の演習をする予定が、PCに向かいブログを書いている。マイペースで無計画である。(汗)sweat01

英語(理系院試対策)の授業で4名(今日1人増えて5名)だが、2人の女の子は僕と同じ日大理工学部、ただし、学科は昔流に言えば工業化学科(物質応用化学科)の3年生とのこと、いろいろ情報をもらっているが、向こうはまだ1年以上の準備期間がある。二人とも国立系の大学院を複数受験するとのこと。僕は目前である。あとの1名の女の子は医療学科系の国立の院試を9月に受けるそうだ。今日赤紫のチョッとメッシュをした男の子は余り話しをしなかったが、4年生で6月、7月に3週間、教育実習だそうで、たぶん9月以降の受験だろう。

予備校の物理は15名前後で特定の仲間は出来ていないが、編入対策用なので大学1,2年生が中心で、一昨日、いつも僕の後ろに座っている真面目そうな女の子に、パスした日の講義ノートを快くコピーさしてもらった。もう一人、僕と同じ世代の男の方がいるが、一昨日は休まれていた。結構、受講生のメンツが一定でないようだ。ただし、2月に物理を受けた石川先生と何人かの学生に見覚えがある。

6月は大変な月になりそうだ。ただし、プレーッシャーは全然感じていない!9月の社会人枠もある。という甘い誘惑もある。募集要項が出たらまた、試験目標のゼミの藤井教授のところへまた相談に行くつもりだ。一昨日石川先生と授業の始まる前に控え室の前で雑談し、石川先生いわく、(藤井)教授も人を見て話しているとのこと。藤井教授も常々、一般力学だけはしっかり学習してくださいとのコメントである。

宇宙物理(天文)学の専門は、佐藤勝彦東大教授の「宇宙論の飽くなき野望」を読んでいる、なかなか素晴らしい宇宙論の入門書である!

さぁ~僕の夢に向かい、もう一頑張りだsign03

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2008年3月27日 (木)

タロット大学(初級)修了

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3月23日(日)2008年カモワン・タロット(初級)

の一期生の試験に無事合格した。pass

今回は、フィリップ・カモワンが仏から来日で、

大阪にて上級コースの開講中で、大沼先生が、

不在で、講師代表で川上美保先生が試験官と、

修了書の授与をして下さった。

結構パワーとエネルギーを要した。

毎日、大アルカナ22枚の番号、名前、

第1キーワ-ドと第2キーワ-ドの暗記を訓練した。

試験1、2週間前から大アルカナの絵の意味を

復習した。sign03

試験はリーディングの実技とシャフルして一枚引いた

カードで、僕はその日「正義」を引いたsign01

8viiijustice

「8番正義;第1キーワ-ド均衡;

第2キーワ-ド 峻厳 法則」と落ち着いて

スラスラと言えた。絵の説明は少しドモリ気味の

説明だが70~80点並の説明は出来た。

結局、受験者全員が合格できたが、

かなりレベルは高かったと思った。

皆良く勉強した。note

僕は占星術を学びたくて、その登龍門として、

受けたタロットだったが、非常にためになった。

*

*

*

話しは、変わるが、2月23日(土)に鵠沼海岸の

「やすらぎの部屋」で知人の美東さんから、

レイキ・アチューンメントのファースト・ディクリーを

受けた。2,3時間の実技と昼食を挟んで1時間の

講義(内容は)秘伝なので説明は省きます。

術後の課題が大変(汗)sweat01

なんと言っても21日間必ず連続で毎日1時間の、

自己ヒーリングの実施をすることsign03

僕は曲がりなりにも21日間遣り抜いた。

大変だったsign01でも、生意気のようだが、少し、

チャクラやエネルギーの流れの何かを得とくした気がする。

4月中旬に、同じく鵠沼海岸でレイキの

セカンド・ディクリーを受ける予定である.。

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2008年2月10日 (日)

予備校で物理学の基礎を学ぶ

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2月3日(日)の節分の日から2月6日(水)まで

19時過ぎから21時過ぎまで、高円寺の中央ゼミナール

に物理学の基礎を学びに行った。

2月3日は、折りしも雪で、6,7人の十代か二十歳前後の

学生ばかり、だった。最初、心細かったが、

講義が始まったら、それどころでない、

頭フル回転・・・(汗)

2月3日は帰りに、予備校の近くのコンビニで、

恵方巻きと、豆まきの豆を買い、

今年は南南東と聞き、小雪の中、まるかじった。

家に帰ってから独りで豆を58個食べた。

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予備校の講義は4日間で20問以上の力学と電磁気学の、

大学の編入試験問題を解く、演習形式であった。

個人的に講師の石川先生や、特に学生さんと、

余り立ち入った話しはしなかった。

石川先生とは毎日2言、3言の会話やアドバイスを貰った。

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昨年の暮れから、微分・積分の勉強をしてたのが、

良かった。一般力学は微分や微分方程式、

電磁気学は積分、二重積分なぞ勉強を、

していなかったら解けない。それでも、

行列式の計算なぞ、スッカリ忘れていることもあり、

付いてくのがやっとだった。

何しろハイペースで、ノートを取るのがやっとで、

忘れないうちに、ノート整理の復習が必要である。

月曜日からは仕事の帰りだったので、多少は、

疲れたが、充実した時間だった。

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2008年1月27日 (日)

タロット大学へ行く

Top_img1_3

 タロット初級:手品師コースの2008年度の

東京第1期生として銀座のタロット大学に1月19日(土)、

1月20日(日)のほぼまる1日の2日間通った。

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まづ最初に、カモワン・タロットカードの大アルカナの22枚の

名前と番号を暗記させられた。

僕は初めてで予習をして行かなかったので、

22枚の名前と番号をやっとこさ、覚えた。(汗)

2日目に22枚の第1キーワードがまたまた覚えられない。(涙)

Sumi

大沼 澄教授(上写真)を中心に、

川上美保先生、山下先生、斉藤先生、宮下先生、

の講師陣(5名)と僕を含めて生徒11名であった。

22_0_4

1日目に僕の好きなカード:ⅩⅩⅠ(21)世界と

答えた。理由は?と聞かれて、

「天上界そして大アルカナ最後のカード、

完成でボッテリッチェの「ビーナスの誕生」を

思わせ始まりも感じられ、全体に宇宙的である。」

だと答えたら大沼先生に「豊かな表現ですね」と

誉められた。

14_0

僕の嫌いなカード:名前の無いⅩⅢ(13)、

理由は:僕は13、死、殺意等、

不吉な予感がした。

でも他の生徒は余りⅩⅢにこだわっては

いなかった。むしろ訳のわからないカード

と答えた人達が多かった。

13_0

僕の訳のわからないカード:ⅩⅡ(12)の吊るし、

リンチの様に吊るされいる割には、朗らかな

顔の表情や足のポーズをしている。

実は僕の生年月日の合計数から、

僕のパーソナル・カードと分かった。

僕の性格、僕自身も良く分からない?!(爆)

8_0

同じく僕の生年月日の合計数から、

ソール・カードはこのⅤⅡ(7)の

戦車で勝利、成功を意味するらしい。

良し良し(笑)今後の人生が楽しみだ!

10_0

そして、先日も最近も3、4回引いたカード、は

ⅤⅠⅠⅠⅠ(9)の隠者で、探求、修行者、研究

なぞ意味するらしい。

 全般的に講義の他に、実際の1枚引きや、

過去、現在、未来からの動的展開法などの

演習もあり、非常に面白かった。

今後、2月、3月の計4回の講義が実に楽しみだ。

また、将来的にはタロット大学で占星術をも勉強し

たいと思っている。

Shop_in_3   

話しは変わるが、昨日1月26日(土)、

ある知り合いの方のすすめで、

原宿の「コスモスペース」と如何にも僕の

好きそうな石(パワーストーン)のお店に行った。

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知人の薦めで、僕は1個約200gm程の、

水晶の原石(北ブラジル産)を

4個ほど購入した。

この話しの続きはまたにしますね!♪

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2008年1月14日 (月)

新年早々

535   

新年明けましておめでとうございます。

2008年が、皆様にとって良い年であるようお祈り申し上げます。

元旦、明治神宮へ初詣に独りで行き、参拝し、鏑矢三本、お守りを

6個、買って来ました。

1月4日初出勤し6日間の年末年始の休みのリハビリ?をしました。

その日に、東銀座のタロット大学の初級(手品師コース)の申し込み

をしました。現在13名?の申込み者だそうです。教科書の

「カモワン・タロット」はamazonで、

購入済みですが、イントロだけしか読んでいません。

1月19,20日に開講し、2月は2日間、3月も2日間の

計6日間の授業です。

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1月6日(日)は午前中、鎌倉の鶴岡八幡宮へ初詣に行き、

参拝し、破魔矢と合格お守りを買って来ました。

すごい人・人の人出で大賑わいでした。

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その後、江の島へ江ノ電で、行き、江島神社に

参拝し同じく破魔矢と合格お守りを買って来ました。

雲一つ無い良い天気で気持ち良い参拝でした。

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その後、江の島から一駅の鵠沼海岸の「やすらぎの部屋」で、

美東さんから、フラワーエッセンスのコンサルタントを1時間余り

受け、非常に、面白くためになりました。続いて、

オラクルカードリーディングとハンドヒーリングを受け、

全般的には、天気も良く、気持ち良い午後の木漏れ日の中、

明るい雰囲気のセッションを2時間、楽しませて頂きました。

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1月8日(火)仕事帰りに、御茶ノ水駅の近くの神田明神に、

美東さん、さとしさん、Tさん、私の4人で初詣の参拝と新月の

アファメーションのワークショップに出かけました。

参拝のお祈りとアファメーションの内容は、

同じこと祈り書きました。

1月11日(金)の会社帰りに、高円寺駅近くの予備校

「中央ゼミナール」へ、大学院受験のための物理学講習会の

申込みに行きました。

2月3日~2月6日の夜に400分の物理学(一般力学、電磁気学等)

の講義を受ける予定です。

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1月13日(日)は友人の卓郎さんと、代々木第2体育館へ昨年に

続き、全日本女子バスケの優勝決定戦を観戦に行きました。

手に汗握る熱戦で、疲れましたが楽しみました。

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2007年12月23日 (日)

修了証

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僕の近況です。本当は今回のブログで、「僕の2007年の10大ニュース」を書いてみようと思ったのですが、今年も10日近くもありますし、日記としては重たいので、本当の近況の「つぶやき」にします。

 先日、12月10日(月)夕刻過ぎから、「新月の忘年会」があり、出席し、楽しい思いをしました。そのイベントで「新月のアファメーション」で密かに三つの宣言をしました。

公開してしまいます。

① 私は来年の7月第1週の大学院の入試に、合格している!

② 私は来春早々のタロット大学の一期生に行っている!

③ 私はブログとMixiを続けている!

僕は夢や願い事の目標を、プレッシャーとして、ネガティブにとらえることを止めたいと思っています。僕はマイペースで、自分でも自覚しているのですが、コツコツと目標に向かい計画的に律儀に、歩みを進めていくタイプではないのです。 

 でも、僕は、今の会社を辞めようとしたりせず、34年が過ぎました。独身時代、会社の英会話の授業も、1年半完全100%の出席でした。 

 今回1117日から6週間、毎週6回、最新の天文学の公開講座を楽しみました。最終回(12/22)は、今回の公開講座を、プロデュースした、僕が大学院のゼミを志望している熊谷(旧姓藤井)教授の講義と更に直々に修了証を貰い、121日には1時間以上も個人的にアポを頂き話しを伺いました。、最終回も最後に受験のアドバイスを貰いました。

受験勉強も既に、開始し来春の2月には、物理学の基礎(力学、電磁気学等)の予備校の授業を受けるつもりです。教科書や受験参考書も手に入れました。

そして、もう一つ、気晴らしに、タロット大学でカモワンタロットの初級コースを学ぼうとしています。1月~3月の6回です。もしも、大学院に無事合格できたら、中級、上級等に進もうと思っています。

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2009年は1609年にガリレオ・ガリレイが望遠鏡で始めて天体観測した年から400年目を記念するInternational Year of Astronomy 2009(世界天文年2009)です。

僕も2009年に向け2008年を飛躍の年にしたいです。

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2007年12月16日 (日)

チョットだけ?高校時代の事を

 僕の高校時代の話は独りよがりで、自己満足の自慢話かも知れないが、40年以上前の証である。体育会系の硬派な偏屈な「時代」だった。

日記と言うより自分史なので近況は、近々アップします。

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 右端が僕、高校3年時のアルバムから

高校(都立松原高校)に入学し、僕が気付いた事は、僕は大変にひ弱だと感じた。一番ショックだったのは、100メートルの走力タイムが15秒以上でこれは、僕が最下位のグループであることであった。

 僕はすぐに運動部に入部しなければ、と思い。当時東京オリンピックに向け活躍中のバレーボール女子チーム(東洋の魔女)に魅せられて、バレーボール部に入ろうと思った。親父に相談すると、良い事だと喜んでくれた。

 確かに、鍛えられた。まずは基礎体力のランニング、指立て伏せ、うさぎ跳びなど、上級生の1年生に対するシゴキが行なわれた。当時の運動部は、スポーツ精神=「根性」だった。新入生10数人で僕はレギュラーになる事を目標とした。しかし1、2年ですぐに目標は達成された。それは、皆、大学受験に備え体力を消耗する運動部の練習についていけず、2年生の1年後には3名しか新入生は残らなかった。

 当時のバレー部の目標は、新人戦(2年生を中心とした)、後はインターハイの大会だった。僕らの学校のすぐとなりに、日大桜ヶ丘高校があり、かなり強いほうで、度々練習試合をした。学区の頂点は駒沢大学付属、日大鶴ヶ丘などであった。鶴ヶ丘高校には、後の全日本チームで活躍する。横田選手(1㍍90㌢)、もう一人、良く似たひときわ背の高いアタッカーを要し強かった。

 僕らの運動部のスタイルは1年生で基礎体力と技と精神(心・体・技)を見に付け、2年生で中心選手となり3年の春の大会を最後に大学受験のためにほぼ引退する。というのがスタイルであった。僕の新人戦は一回戦で敗退、公式戦で1回も勝利出来なかった。

 僕らのスポーツイベントは、春の体力測定(100メートル走、走り幅跳び、ソフトボール投げ、懸垂(女子は釣り下がりタイム))の4種競技の測定で男女別上位25名、の名前と順位と得点が張り出された。僕らの学校は1学年男女別それぞれ150人の3百人であり3学年で男女450名ずつだった。

 秋の体育祭と球技大会そして冬の1万メートルのマラソン大会があった。 僕は3年生の時体力測定では10数番で名前が張り出され、苦手だった100メートル走も12秒台までと力を付け、特にソフトボール投げは3回の仕儀で学校中で2位の78メートルを1回目に投げ、2回、3回目は投てき場のすぐ真上のラグビーポールへ偶然にぶつけるファールだった。

 マラソンは好きな方だったが、男女別々に400人弱が一緒に参加し1年生で100数十番、2年生が、30数番で最後に挑んだ3年時は体調不良で80数番だった。10番以内にもらえる賞状は逃したが、50番以内は小さいが記念のメダルを貰えた。

 僕は3年生になっても、下級生のコーチを続け、また2年生の体育で憶えたラグビーに興味が移っていった。3年生の体育の時間にラグビーを選択し、急速に技を憶えた。その結果、ラグビーの顧問兼コーチでもあった体育の先生に、可愛がられた。 大学の対抗戦の入場券を貰ったりした。3年生の最後の頃はラグビー部員以上に上手くなった。僕はラグビーの最後の練習試合は圧巻で総ての得点に駆らんだ。スタンドとしてチームの司令塔兼ポイントゲッターだった。

 ただし、他の勉強は美術と数学を除いて最下位に近く意地張りの僕は3年間の大学受験浪人が 待ち受けていた。

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2007年12月15日 (土)

チョットだけ?大学時代の事を

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僕の大学時代の最初の絵画の作品は、パステルの美人画だった。大学受験浪人時代に、東京芸大、武蔵美大の実技試験に落ち、ある美大の講師に相談したところ諦めた方がいいと言われ、物理学科に転向した。  

 大学に入りどうしても絵が描きたくて、美術クラブに入部した。すぐに展示会を開くので、何か描くように言われて、「マドンナ」と題して20号ぐらいのパステルの美人画を描いた。この絵はすぐ後に、僕の高校時代の親友が是非欲しいと言うので3000円で買ってくれた。 僕は描き終ると自分の絵が多少、自己嫌悪と感じるので、殆ど全部の作品を安く売ってしまった。結構、友達が欲しがった。と言っても4年間の学生時代に10枚も描いていない。僕はクラブのある先輩に感化を受け、「自画像」と題した文集を不定期に何回か出し、その先輩と詩集なぞも創った。限定100部くらいでシルクスクリーンの表紙にガリ版刷りの文集、詩集などであった。結構、人通手で良く売れた。  僕はその頃、テレビは殆ど見なかった。本や雑誌をよく読んでいた。特に物理や数学等の教科書以外はカミュ、サルトル、吉本隆明、三島由紀夫などの小説を好んで読んでいた。お茶の水のスズラン通りの本屋街によく足を運んだ。

 大学2年の時に夏のキャンプに上高地へ男女5,6人で出かけた。その中の可愛い薬学科の女の子にチョッピリ好意を持ちキッパリと振られた。失意のその時、他の大学だが新人の女の子が3人ほど入部した。その中の一人の女の子が僕に恋をした。僕もその子に相思相愛となった。 結構、天真爛漫な子で皆に可愛がられた。僕らの関係は割りと好意的に皆に認められた。その子の大学が、渋谷の近くだったので、良く渋谷でデートした。生まれて初めて、渋谷の夜の公園で初キッスした。22歳の僕と19歳の彼女はドンドン関係を深めていった。その子は船乗りのお父さんを早くに亡くし、親一人、子一人であった。その子の母親は横須賀の米軍基地で働いているらしかった。僕がマサオでその子は雅子で通称「マコ」と皆は呼んだ。マコは僕と付き合い出した頃、京浜急行線の京浜富岡の駅の傍にアパートを借り、僕はそこに通った。

 少し要領の良かった僕は殆んど授業に出なかったが、サークルの仲間同士で授業を決めて、その授業だけは全部出て、総ての科目のノートが手に入り殆んど総て優を取った。 僕は4年のゼミで数値計算の卒論と学部長の推薦と一寸したコネで今の会社に合格した。僕は僕の両親にもマコを紹介し僕の家にも1,2回ほど泊まったり、マコの母親にも気に入られていたのに、マコは結婚を拒み。僕が4年生の秋に他の彼氏を作った。

 後日談だが、3,4年後、僕が沼津工場に勤めた時、独身寮に突然、会いたいと電話があり。マコは母と実家の九州の佐世保で2人だけで暮らしているとのことで、新幹線を乗り継ぎ、博多で再会した。その時プロポーズらしきものをしたが、やはりマコはまた拒んだ。その後だが、僕が今の女房と結婚し二人の子供を設け、僕の父を亡くし、マコの母も亡くなり天涯孤独になった頃、マコは結婚した。40歳過ぎてからで、子供はいないらしい。

 西暦2000年頃、30年ぶりにサークルの皆に逢った時に、軽井沢の別荘の管理人をしているらしいと聞いたが、もう遭えなかった。3,4回電話で話しをした。今は幸せそうなのでもう、僕は電話をしない。年賀状だけ出しているがここ2,3年返事が来なくなった。

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2007年8月25日 (土)

コンサート

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コンサート・・・僕は、同じテーマを3回以上続けたくないので、

このブログ(日記)の始めの「僕の夢」と同じく、今回で、完結する。

近過去から近未来まで、イッキに(奔馬の如く)駆け抜けるので、

チョット長くなるが、ご容赦を!

まずは、(その2)の続きから・・・

僕は、フォーク(ニューミュジック)系の山崎ハコ、中島みゆきの他、

ロック(リズム&ブルース)系ザ・ビートルズ(ローリング・ストーンズは

余り好きではなかったが)、特にジョージ・ハリスンとその友人で

もあるエッリク・クラプトンが好きだった。

僕の大学時代にビートルズが解散し、再結成が叫ばれている

1970年頃(正確には、1974年、今の会社に入社後)、

初めてのボーナスで、オーディオ・セットと1組のレーコドを購入した。

ザ・ビートルズ/  1962-1966&1967-1970であった。

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ビートルズ解散直後に、ジョージ・ハリスンのシタールの師であるラヴィ・シャンカール

(ガイヤ・シンホニィー第6番出演者で、かつ2003年グラミー賞受賞

のノラ・ジョーンズの実父)の要請でロック界初の

大規模なチャリティー・コンサート(バングラデシュ・コンサート)を開催。

ジョージ・ハリスンの他、エリック・クラプトンボブ・ディランレオン・ラッセル

が参加したイベントは大成功を収め20世紀最大のロック・イベントとも称された。

僕はこのライヴ盤レコードも直ぐ購入し、何度も聴いた。

今、僕の携帯の着メロ(Tears in Heaven)になっている

エッリク・クラプトンに本格的に出遭ったのもこの頃である。

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僕自身の初コンサートやアコースティク・ギターを始めたのも、

1998年頃からである。僕の自宅の真ん前に、ギター教室が

出来た僕は、直ぐに教室に突然訪問し、フォーク・ギターが

弾きたいと言った。

冒頭のクラシック・ギターを10万円余りで購入し直ぐに練習を

始めた。最初に習ったのがイルカの「なごり雪」、続いて

河島英五の「酒と泪と男と女」の曲を習った。

始めて、ミニ・コンサートで仲間内の曲はビートルズの

「イエスタディ」を選んだ。何回も練習したのに、メロメロ

だった。始めて人前で弾く難しさを知った。

初めてのお披露目コンサートはモット酷かった。

曲は、「グリンス・リーブス」チョットした小曲だった。

30~40回練習し、暗譜できるようになった。

リハーサルでも硬いが弾けていた。

しかし極度の緊張から、本番で名前と曲名の紹介の

後の観衆の拍手でスッカり上がり、頭の中は真っ白け、

すっかり曲を忘れてしまった。手は震え出し、30秒の

沈黙の内に、弾かずに退席した。

後で聞いた話しによると皆、人前で演奏するには、

数十回どころか数百回、プロは同じ曲を千回以上も

上手く演奏するには練習するそうだ。

半年後の2回目のお披露目コンサートは、色々と工夫した。

まず、暗譜せず楽譜を見て、かつ百回以上練習し、

尊敬するエリック・クラプトンがアンプラグダで演奏した

衣装を真似た。曲はジョン・レノンの「イマジン」で、

そして曲紹介の後、拍手の前に演奏を開始した。

何とか最後まで弾けたが、イメージとおりではなかった。

録音された本番のテープを聴いて愕然ともした。

その頃に同じく入っていたギター・アンサンブルのサークル

一本に絞り、個人レッスンは終了した。

ちょうどミレミアム2000年頃である。

その数年後、2,3回のボランティアのコンサートを楽しんだ。

その後、新宿厚生年金会館で女房と二人で「綾戸智絵」の

ライブ・コンサートへ行き2003年~2005年にかけ、2回ほど

「綾戸智絵」のコンサートだけは女房は付合ってくれた。

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その翌年2006年に六本木のジャズ・レストランの

STB139スィートベージルで、

Stb13901_2 

クラプトンのTears in Heavenをカバーした縁で

好きになった「鈴木重子」のコンサートで、

何年か振りに夕食を二人でしながら聴いた。

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しかし、クリスマスの「鈴木重子」のコンサートは、

行かないと女房は言いだし、結局、高校時代の

男の親友と行った。

そして、来週の日曜日9月2日(日)に、六本木のジャズ・レストランの

STB139スィートベージルで、「綾戸智絵」のコンサーとを仮予約し

女房を誘っているが、また行かないと言い出していて、3日前までに、

キャンセルするかどうか思案している。目下の最大の悩みである。(完)

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2007年8月19日 (日)

コンサート(その2)

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僕のライブ・コンサートに観に行った最初は、今から30年前に、

会社へ入社後3~4年経った頃、2年間の沼津工場勤務を終え

東京に戻った直後だった。

沼津勤務時代に一人の歌手に魅了された。

それは、10代でデビューし、当時、中島みゆきのライバルと言わ

れていた、シンガー・ソングライターの山崎ハコであった。

小柄で細身の身体から可憐で透明かつパワフルな歌声だった。

有名であったが、本人の希望で一切、テレビに出演しなかった。

週一回、深夜3時から火曜日のオールナイト・ニッポンにだけは、

ちょうど中島みゆきが月曜日その翌日に出ていた。

僕は山崎ハコのラジオ放送を毎週カセットデッキに録音しながら

聞いていた。便りのハガキや手紙も2~3度出した。

結局、病弱(後に聞いたが,肝臓が悪く、酒、タバコはおろか

コーヒー、やラーメンもだめ)でそのイメージの暗さゆえ

1年で降板し、結局,1980年3月の最終回まで3~4ヶ月の

毎週カセットテープにコマーシャル・カットで録音した。

コンサートは日本青年館ホールをかわきりに3~4回

聞きに行った。

ハコのカセットアルバムは全部といっていいほど買い続けた。

僕は2~3年後に結婚し一時、ハコから卒業した。子育てや

仕事の忙しさで、それどこで無かった。

また2番目の子供ができる前に、父が白血病で、死んだ

こともあった。

その後、風の便りに、ハコは音楽活動を休止した事を聞いた。

何年か経って、平成6年に、ハコは昭和の名曲集をカバーした。

「十八番」で再起し僕はCDを購入しコンサートへも

チョクチョク行くようにした。

殆んど、家族には内緒でいつも最前列で聴いた。

21世紀になり、ハコはギターリストで古くからのサポート役

の安田氏と結婚し、僕はまた、ハコから卒業した。

(続く・・・・)

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2007年8月17日 (金)

コンサート(その1)

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昨夜、今、コーチングを受けているアキラさん主催のミニ・コンサートに参加した。

僕の自宅に割りと近くにある、横浜の東横線の大倉山駅のそば大倉山記念館であった。

第1部の前半は僕と同じ会社の青森の方CABさんで、ネブタ祭りの笛を吹かれた。

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ネブタの笛に続き、青森県の岩城山への御山詣出のお囃子を聞いた、アキラさんの娘さんのエミちゃんが

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お囃子の太鼓代わりに椅子で拍子を取った。とても上手だった。

後半はアキラさんの龍笛による「もののけ姫のテーマ」さらにインディアン・ラブフルートによる

「イグルソング」とても良かった。

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最後に第2部ではアキラさんとエミちゃんとIKUKOさんらによるオカリナなの演奏を楽しんだ。

実話、7月22日(日)に茅ヶ崎のヒ-リング・サロンのテラ・モアでアキラさんIKUKOさんKUMIKOさんらの

響きのヒリーング・セッションの後に、横浜山手イギリス館でファミリー・コンサートを開かれ、

僕は両方とも参加(聴衆として)したが、ファミリー・コンサートのミニ版といった雰囲気だった。

話は変わるが、8月4日(土)に横浜みなとみらい、馬車道通りの先、赤レンガ倉庫ホールで、

僕の友人のフォークを中心とした、アマチュアとしてはかなり本格的なコンサートが開催され、

観に行った。僕と同年代の友人は60年代、70年代を中心とした、

サイモン&ガーファンクル、ボブ・ディラン、ビートルズの曲、並びに日本のフォークなど

ギターとピアノのソロ、弾き語りなど2時間余りに渡って楽しましてくれた。

取り合えずは最近のコンサート。

(続きは僕のコンサートの思い出を書こうと思う)

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2007年8月14日 (火)

スピリチュアル

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僕の「スピリチュアル」の体験は今から1年前のコーチのアキラさんとの出逢いに始まる。

1年前の夏に、アキラさんと、有楽町の東京国際フォーラムの喫茶店で始めてお遭いした。

不思議な、優しさに包まれ、コーチングとカードリーディングとブログの世界に出遭った。

最初にカードりーディングの世界から入った。ドリーン・バーチュー のに大天使オラクルカードに興味を持ち、輸入版を最初に購入したが、ジャンピングカードという方法でこのカードの表紙になっている、OutDoorを何回も引くので、翻訳版の大天使オラクルカードも購入した。

元々占い好きだった僕は直ぐにはまった。このカードは実家と自宅に一つづつ置き、いつも楽しんでいる。次に

タローデパリというタロットカードを紹介され後に購入する。

その前にアキラさんとの1回目のコーチングがあり、4~5回のコーチングで僕は自分史の発掘とマインド・マップの世界に入っていった。

そして、スピリチュアルとしての僕にとって最大の出来事、横浜山手イギリス館で「女神の泉」というスピリチュアル・セッションに参加するそこで、ヒーラーのRyokoさんと出会い初めての本格的なヒーリーング・セッションを受ける。

そこで今、本格的にヒーラーとして活躍しだしている、チュプカさんやHijiri☆さんとに出会う普通の女性だと思っていたIKUKOさんも独自のスピリチュアル活動をしている。そしてRyokoさんとアキラさんがホステスとホスト役の神々しくも家庭的な雰囲気のセッションで僕は1月、2月、3月と3回出席した。

チュプカさんとHijiri☆さんとは何回もメールのやり取りをして、いろいろと影響、特に二人の個性的なブログは素晴らしい。ブログはアキラさんが欠かさず毎日、最新の記事を載せ、とても真似が出来ない独自の世界観がある。

僕は1回目のブログで紹介したとおり、今年の3月に2回目のコーチンでチュプカさんの社会人大学の卒業の、ブログ記事に感動し、「宇宙物理」の大学公開講座の受講に導かれた。

チュプカさんのスピコンでのリーディングで「天使の祝福カード」、そしてRyokoさんとの再会で勧められた「なんくるカード」同じくチュプカさんのカード・リーディングで知ったドリーン・バーチューの 「エンジェル・オラクル・カード」も購入した。

今、アキラさんと3回目のコーチンの最中であり、新しい世界に向けてチャレンジが始まっている。

また、Ryokoさんとの再会で勧められた「ガイヤ・シンホニー:地球交響曲」繋がりでHijiri☆さんとのメールのやり取りやDVDの購入により、チュプカさんのセッションで知り合ったリュウさんにDVDお貸した縁などで交流の輪も広がっている。

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2007年8月 9日 (木)

僕の夢

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僕の夢・・・・・一応、このテーマは完結したいので、

無理やり、結論としたい。

(その1)も(その2)も初心であった。

僕の現在の知識や、僕という存在自体が宇宙に比べ非常に小さなものである。

宇宙物理学、物理学、自然科学、真理の中で、僕の羅針盤をどう位置づけるか?

どだい僕でなく、僕らは3次元空間の中でプラス、時間の感覚でしか意識できない。

1,2,3・・・・一杯の次が、ー∞・・・・-1、0,1,2,3、・・・・n・・・・+∞の次が、

カオスと連続とアレフの中に・・・・・・

カオスとコスモス、

自然数と虚数も含めた連続数、

0と∞とπ、

真理は一つだけ・・・・・かも?

ビッグバン宇宙と神と人間・・・・・

137億年の進化、96%の暗黒物質、暗黒エネルキーの存在.。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

僕は目標とする、テーマを決めていない。

僕が還暦で、大学院に行こうとしている事は、

家族に話ていない。就職のステータスとしてでない。

学者や研究者になりたい訳でもない。

ただ単に、勉学したい・・・・・・。

いつ:2009年の夏以降、

どこ:第1志望は名古屋大学理学部物理学科杉山研究室

   第2志望は日本大学理工学部物理学科熊谷研究室

   第3志望はまだ決めていない。

希望は2年~3年で博士前期課程で学び

   後期課程は出来るなら

  東京大学理学部天文学科へ編入したい。

  その先は、考えていない。

でも、あくまでも僕のモデルケースである。

アインシュタイン、ハイゼンベルグ、ガモフ、ホーキングの

様な独創性はないが、名前を残すのでなく、勉学を楽しみたい。

一天文ファンの道楽として・・・・・・。(完)

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2007年8月 8日 (水)

僕の夢(その2)

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僕の夢の”宇宙物理学”のルーツを語ろう。

それは、今から34年前に大学で卒業研究テーマにある。

僕は、出身大学(日本大学理工学部物理学科)で、卒研で、

FFT(高速フーリェ変換)というアルゴリズムで、宇宙銀河系の高温プラズマの解析をするためのコンピュータ・シミュレーションの編微分方程式のプログラムを作る研究をしていた。(今、思い出してもカッコイイ・・・・・!)

僕の卒業ゼミの担当教授は、川上一郎教授で東大卒のプラズマ研究所の研究員で、いまだ実現されていない常温核融合研究のコンピュータ・シミュレーションの研究の大家であった。川上教授には後に僕の結婚式の媒酌人もお願いした。

そのゼミで、電子計算機と数値計算と天文物理学に出逢った。

もう一つ、何故、僕が物理学を選らんかは、単純で今から40年以上前に、「2001年宇宙の旅」という映画を観て、非常に(運命的に)感動したことによる。

この映画は、1960年初頭にスタンリー・キューブリック監督が映画用にSF作家アーサー・C・クラークに科学考証や脚本を依頼したもので人口知能HAL9000コンピュータの反乱や「モノリス」という知性物体の出現や宇宙船ディスカバリー号の木星探査やボーマン船長の人類より進化したスターチャイルドへの進化など21世紀になた今でも非常に興味深い。

僕はこの映画に魅せられ、原書(2001:A Space Odessey)も翻訳版の早川新書も買って読んだ、HAL9000は僕の憧れだった。因みに21世紀近くになってDVDの初めての映画鑑賞もこれにした。

これが、宇宙物理学や天文物理学への出発点だった。(To be continued)

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2007年8月 7日 (火)

僕の夢(その1)

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僕の夢は、後1年半で満60歳を向かえたあと(定年退職後) に、大学院に行くことだ。先日、脚本家で有名な内舘牧子さんの「養老院より大学院」という本に感化された。

簡単に解説すると、僕と同学年の内舘氏は、2006年に東北大学大学院の宗教学科を3年掛け卒業された。(タイトルといい、内容といい実に面白いので、僕ら団塊の世代並びに社会人学生を目指されている方々に是非にお勧めする。)

僕は最近(7月25日(水)の夕方)に、チュプカさんというヒーラー(彼女は正確にはヒーラーに近いと語られていた)にカード・リーディングのセッションを受け、カウンセリングとリーディングの結果、大学院への進学の後押しをされた。

僕の大学院への専行志望は宇宙物理学である。それは、今年の3月頃に僕の知り合いのコーチ(質素でスピリチュアルな生き方を夢見ている「虹の戦士」の一人)のアキラさんというコーチにコーチングを受けている中で起こった。

アキラさんとは1年以上前に、僕の尊敬している僕の会社の専任教育コンサルタントのT先生からの紹介で知り合った。

話を戻すと、3月頃にアキラさんと、2度目の1ヶ月に渡るコーチングの中で、幾つかの課題を実施(選択希望)する中で、チュプカさんの社会人大学卒業のブログに感動し、宇宙物理を勉強したいと希望した事による。(To be continued)

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